二の丸御殿の西北側の石垣に建っています。城が危急の時、城主はここから脱出することが
決めてあったという。この門をくぐり垂直の石段を下り濠を渡って対岸の御深井丸の庭から
土居下を通り大曽根、勝川、定光寺を経て木曽路に落ち行くことが
極秘の脱出路とされていた。
と記されている。
焼失した二の丸御殿の南庭の片隅に建っています。
塩蔵遺構跡、本丸の東北に当たるここは築城以後無名の場所であったが
寛文3年(1663)塩を貯蔵する蔵が建てられた。西之丸にもあったが
ここが一番多量に貯えられていた。
天守閣の基礎石の東北角に案内板にあるように
築城に携わった人の
名前が刻まれている。
撮影平成10年6月29日