歴史:潮湯治
大野海岸・生魚の 御あへもきよし 酒もよし 大野のゆあみ 日数かさねむ
??鴨長明(鎌倉時代初期)
鴨長明は鎌倉時代初期の1210年(承元4年)または1211年(建暦2年)に大野を訪れ、「生魚の 御あへもきよし
酒もよし 大野のゆあみ 日数かさねむ」と詠んでいる。「ゆあみ」は潮湯治(しおとうじ)の意味であるとされ、
これを根拠に「世界最古の海水浴場」と称されることがある[1]。ただし、海中に直接身体を浸す行為だったのか、
海水を温めたものに別地点で身体を浸す行為だったのかは定かでない[2]。
慶長3年(1598年)頃には武蔵国忍藩主の松平忠吉が腫物の治療のために大野海岸を訪れており、兄の徳川秀忠が京都・
伏見から大野海岸の松平忠吉に宛てた見舞状が残っている[3]。慶長5年(1600年)には松平忠吉が尾張国清洲藩主となり、
清洲藩主時代にも再び大野海岸を訪れている[3]。
江戸時代末期の1844年(天保15年)に発行された『尾張名所図会』には、大野における潮湯治の様子が掲載されている[1]。
潮湯治は諸病に効くとされており、人々が海水に身を浸したり、浜で身を横たえたりする姿が絵図に描かれている[1]。
2021.07.18 撮影。
世界で一番古く歴史ある大野海水浴場。
大野海岸海水浴場には八百年以上の歴史があると記され、碑文は判然としません。
世界で一番古い海水浴場の案内標識を探しましたが見当たりませんでした。
大野海岸海水浴場。
大野海岸海水浴場。
常滑市(その1)
常滑市(その2)
常滑市(その3)
常滑市(その4)
常滑市(その5)
常滑市(その6)
常滑市(その7)
常滑市(その8・大野海水浴場)