愛知・38市史跡・社寺めぐりー清須市(その3)ハイビジョン映像:清洲城と五条川のさくら清洲城(織田信長の居城)上小田井駅から西へ約3キロ余り,五条川を挟んで東側に新しい、西側に清洲城跡(写真右)があります。
天守閣の展望,左は五条川を挟んで見える清洲城跡、右は名古屋市方面展示場面はを前に信長公が胸中に決死の覚悟を秘めて謡曲「敦盛」を舞うシーンです。左は濃姫言上するは出陣の折りに必勝祈願をし、勇躍桶狭間に向かったといわれる。
ウィキメディア・コモンズ経由で・『本能寺焼討之図』(楊斎延一作) 中央右奥、安田作兵衛の向こう側で長刀を振るう女性は濃姫を描いたものである。
1577年森秀光の守る方岡城を攻めた時細川忠興(青年時代)兄弟(15歳と13歳)で一番乗りの目覚しい手柄を立てた時「比類なきもの」として与えた直筆の感状である。
城内展示品の一部です。城内展示品の一部です。清州城の入り口の案内右は清州城跡、左は信長の銅像(清州城公園内)大吉寺と近くの地蔵堂。
石清水八幡宮。御祭神:譽田別尊・玉依姫命・気長足姫命 由緒:建久元年(1190)に源頼朝がここで眼病治療を受け平癒した際に石清水八幡を勧請したのを起源にするという。清須城主松平忠吉は社殿を再興し所領などを寄進したといわれます。>光専寺。
東勝寺。前の道路は柳街道(別名:信長街道)といわれ七宝を経て蟹江に通じ、織田信長公も頻繁に往来したといわれる。
正願寺。本堂内の由緒を撮らして頂きましたので三分割して掲載します。第三部で織田信長公について書かれています。
御園神明社由緒。御園神明社境内(左)にある巴波天神社(中)。豊臣秀吉特集(その3,ねね出生地)朝日村はねね(北の政所)の生まれ故郷でもありました。
歴史書によればねねの出生地は尾張の国清洲の朝日村と書かれたものが多い。そこで朝日村の厳島神社を尋ねた。由緒によれば2000年前の石器、弥生時代の遺品が発掘された朝日遺跡(村全体の7割が発掘対象といわれる、愛知県史跡、貝殻山貝塚公園)の近くにあります。犬と散歩の古老にねねの生まれを尋ねたが知らないという。家は代代信長の小姓の子孫で,見ず知らずの私に後で代代伝わる仏壇を見てくれという。後日姓だけ聞いていたので近くのおばさんに尋ねたらこの辺は皆猪子の姓ばかりで名前を聞かなければ判らないという。折りをみてもう一度行きたい。愛知県図書館蔵書「尾張史跡」をコピー拡大したものです。
10年ぶりやっと確認できました。
中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第1部)清洲城と五条川のさくらリンク:愛知38市稲(とう)・中・美ハイビジョン動画館




















原ファイル: kiyosusi3.htm