脇往還:佐屋街道(佐屋宿その1)
街道
編集部確認 2026年4月
脇往還:佐屋街道(佐屋宿その1)佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。脇往還・佐屋街道は東海道宮宿~桑名宿間は距離が長く旅人の便利をはかるためこの万場宿、神守宿、佐屋宿が設けられた。
新日光橋西詰めの説明板。第5日目は2011.11.21日ここからスタートします。
旧日光橋の親柱と説明板。現日光橋と土手の下になってしまった秋葉神社。かっては日光橋西詰めに立場があったといわれる。
秋葉神社・日光橋西詰め津島一里塚跡:清光院境内にあり、神守一里塚の次に位置しますが佐屋街道とは埋田の交差点付近で別れています。近年津島街道が整備され一般に県道津島線と呼ばれ、津島の文字が使用されているようです。
埋田の追分付近、右:「明治天皇小休止址記念碑」と左:「津島神社一の鳥居址」埋田交差点を南西に入った場所の小さな神社(社名不詳)の境内にあります。
小さな神社(社名不詳)上記神社からすぐ西、津島神社と佐屋の渡しの分岐点ですが街並みの改修により判然としません。
江戸時代には茶店などがあり、松並木も続き賑わったと記されています。常夜灯後ろの矢印2個は津島神社第一の鳥居の跡ですが上の大部分が伊勢湾台風で倒れたものです。
左:右は愛宕神社。隣同士です。日置八幡宮(源頼朝の勘請と伝えられる):道路が改修され神社も新しくされた様子。
その年の豊凶を占なう「日置のくだがゆ」は近郷に聞こえていた。壮大な本堂と古色豊かな山門の明通寺。尾張藩祖義直は立田方面の鷹狩の途中たびたびこの寺に立ち寄ったという。筝曲・吉田検校はこの寺の生まれである。
右は佐屋街道が養老山脈方向にほぼ直線に伸びているが本来の街道とはやや異なるようです。
左はこの街道が巡見街道に突き当たり左折し約100メートル東側に建っている佐屋海道址付近。
かってこの付近には松並木もあったという巡見街道を南進し須依交差点を右折して佐屋宿に入り三里の渡し場へ向かう。
佐屋街道その1(平成10年版)佐屋街道(伝馬町~新尾頭)佐屋街道(新尾頭~長良橋)万場宿~神守宿(その1)万場宿~神守宿(その2)佐屋宿へ行く万場宿~神守宿(その2)宮宿へ行く
脇往還:佐屋街道(佐屋宿その1) 佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。脇往還・佐屋街道は東海道宮宿~桑名宿間は 距離が長く旅人の便利をはかるためこの万場宿、神守宿、佐屋宿が設けられた。 新日光橋西詰めの説明板。第5日目は2011.11
新日光橋西詰めの説明板。第5日目は2011.11.21日ここからスタートします。
旧日光橋の親柱と説明板。
現日光橋と土手の下になってしまった秋葉神社。かっては日光橋西詰めに立場が あったといわれる。 秋葉神社・日光橋西詰め
現日光橋と土手の下になってしまった秋葉神社。かっては日光橋西詰めに立場が あったといわれる。 秋葉神社・日光橋西詰め
津島一里塚跡:清光院境内にあり、神守一里塚の次に位置しますが佐屋街道とは 埋田の交差点付近で別れています。近年津島街道が整備され一般に県道津島線 と呼ばれ、津島の文字が使用されているようです。 津島一里塚跡:清光院
埋田の追分付近、右:「明治天皇小休止址記念碑」と左:「津島神社一の鳥居址」 埋田交差点を南西に入った場所の小さな神社(社名不詳)の境内にあります。 小さな神社(社名不詳)
上記神社からすぐ西、津島神社と佐屋の渡しの分岐点ですが街並みの改修により判然としません。 江戸時代には茶店などがあり、松並木も続き賑わったと記されています。常夜灯後ろの矢印2個は 津島神社第一の鳥居の跡ですが上の大部分が伊勢湾台風で倒れたも
左:十王堂 右は愛宕神社。隣同士です。
日置八幡宮(源頼朝の勘請と伝えられる):道路が改修され神社も新しくされた様子。 その年の豊凶を占なう「日置のくだがゆ」は近郷に聞こえていた。
壮大な本堂と古色豊かな山門の明通寺。尾張藩祖義直は立田方面の鷹狩の 途中たびたびこの寺に立ち寄ったという。筝曲・吉田検校はこの寺の生まれである。
右は佐屋街道が養老山脈方向にほぼ直線に伸びているが本来の街道とはやや異なるようです。 左はこの街道が巡見街道に突き当たり左折し約100メートル東側に建っている佐屋海道址付近。 かってこの付近には松並木もあったという
巡見街道を南進し須依交差点を右折して佐屋宿に入り三里の渡し場へ向かう。
佐屋宿(その2)佐屋宿へ行く 万場宿~神守宿(その2)宮宿へ行く
原ファイル: sayasyuku1.htm