浅間町駅周辺案内(その1)

浅間町駅周辺案内(その1)名古屋市交通局リンク:

左は駅から北、浄心、上小田井方面、右は駅から国道22号を東、丸の内から伏見方面を撮る。

創祀は元禄初年(1688年)の古社です。明道町菓子問屋街の一角にあります。駅から西へ200メートル、広い国道の南側、法蔵寺の入り口すぐ左にあります。昭和52年名古屋市史跡に指定されました。

上記法蔵寺からほぼ西南3~400メートルのところにある菊水観音で、菊井町の町名となったと云われる。古い井戸も枯れ果てて鉄の残骸が残っています。もとは楠正成・正行の家臣が持っていた聖観世音菩薩が祀られている。また境内には宗謙翁の石碑がある(左)。

藤原師長は井戸田から見送ってくれた村長の娘に形見として薬師如来と白菊の琵琶を残したが、娘は別れを悲しみこの地で身を投じたという。その後この地を琵琶島(現在は枇杷島1丁目から5丁目と変更した)と名付け、娘の菩提を弔うためこの寺を建立した。今もこのあたりに白菊町,琵琶里町のバス停がある。

駅から東へ約350メートル、国道22号線南側にある。関連関連 鈴木あきら終焉地は駅北約200メートル、現在の江川町通りを西へ東枇杷島町を経て通り抜けている。街道筋には白山神社、(かって神社の西側を流れていた笈瀬川に架かる権現橋の欄干が残っている)八坂神社などあり,またこの地方に多い屋根神様(屋根に神を祭り、信仰した)も街道筋にみられ、僅かですが面影の残る町並みである。写真左は清音寺裏手の庄内川堤防下にあり、右は白山神社の前に建っている。

中仙道往還:美濃路の旅(名古屋宿第3部)浅間町周辺案内(その1)浅間町周辺案内(その2)鶴舞線浅間町駅→庄内通駅間地上走行ムービー(29.5mb)鶴舞線浅間町駅→丸の内駅間地上走行ムービー(21.5mb)浄心(上小田井、犬山行き)丸の内(赤池、豊田行き)

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左は駅から北、浄心、上小田井方面、右は駅から国道22号を東、丸の内から伏見方面を撮る。 浅間町駅
左は駅から北、浄心、上小田井方面、右は駅から国道22号を東、丸の内から伏見方面を撮る。 浅間町駅
左は駅から北、浄心、上小田井方面、右は駅から国道22号を東、丸の内から伏見方面を撮る。 浅間町駅
左は駅から北、浄心、上小田井方面、右は駅から国道22号を東、丸の内から伏見方面を撮る。 浅間町駅
創祀は元禄初年(1688年)の古社です。明道町菓子問屋街の一角にあります。
創祀は元禄初年(1688年)の古社です。明道町菓子問屋街の一角にあります。
刈跡や早稲かたかたの鴫の声 芭蕉
刈跡や早稲かたかたの鴫の声 芭蕉
上記法蔵寺からほぼ西南3~400メートルのところにある菊水観音で、 菊井町の町名となったと云われる。古い井戸も枯れ果てて鉄の残骸が 残っています。もとは楠正成・正行の家臣が持っていた聖観世音菩薩 が祀られている。また境内には宗謙翁の石碑があ
上記法蔵寺からほぼ西南3~400メートルのところにある菊水観音で、 菊井町の町名となったと云われる。古い井戸も枯れ果てて鉄の残骸が 残っています。もとは楠正成・正行の家臣が持っていた聖観世音菩薩 が祀られている。また境内には宗謙翁の石碑があ
藤原師長は井戸田から見送ってくれた村長の娘に形見として 薬師如来と白菊の琵琶を残したが、娘は別れを悲しみこの地で身を投じたとい う。その後この地を琵琶島(現在は枇杷島1丁目から5丁目と変更した)と名 付け、娘の菩提を弔うためこの寺を建立した
藤原師長は井戸田から見送ってくれた村長の娘に形見として 薬師如来と白菊の琵琶を残したが、娘は別れを悲しみこの地で身を投じたとい う。その後この地を琵琶島(現在は枇杷島1丁目から5丁目と変更した)と名 付け、娘の菩提を弔うためこの寺を建立した
幅下学問所址
幅下学問所址
鈴木あきら離屋の址
鈴木あきら離屋の址
美濃街道は駅北約200メートル、現在の 江川町通りを西へ東枇杷島町を経て通り抜けている。街道筋には白山神社、 (かって神社の西側を流れていた笈瀬川に架かる権現橋の欄干が残っている) 八坂神社などあり,またこの地方に多い屋根神様(屋根に神を祭
美濃街道は駅北約200メートル、現在の 江川町通りを西へ東枇杷島町を経て通り抜けている。街道筋には白山神社、 (かって神社の西側を流れていた笈瀬川に架かる権現橋の欄干が残っている) 八坂神社などあり,またこの地方に多い屋根神様(屋根に神を祭
街道コース
街道コース
祭りコース
祭りコース
当駅鶴舞線次は
当駅鶴舞線次は

原ファイル: sengenty.htm