脇往還:佐屋街道(宮~桑名間の陸路)その3
歴史・人物
編集部確認 2026年4月
脇往還:佐屋街道(宮~桑名間の陸路)その3佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。
国道19号線金山新橋南交差点西南角サークルk前、「鯱(しゃちほこ)の目貫見に行くさや廻り」:有幸の句にあるごとく金の鯱ほこ見たさにわざわざ佐屋街道廻りをした人もいたようです。幕末頃にはここから名古屋城が見えたと容易に想像できます左写真の突き当たり約1里が名古屋城となります。
右写真は佐屋街道道標。ここがと分かれる追分です.左この道標南約600メートルの熱田神宮第一神門址の石碑。ここに北入り口の朱塗りの大鳥居が立っていました。伏見通り西側歩道に背を向けていますが拡幅前は今の車道が佐屋街道そのものでした。
尾頭橋と佐屋道標(金山新橋南交差点西南角)から佐屋街道を見る、街道東の入り口付近。
尾頭橋欄干に取り付けられた案内板を拡大したもの。尾頭橋欄干に貼り付けられた新橋風景案内板。左は尾頭橋上から堀川上流(名古屋城)方面を見る。
新幹線ガード下を過ぎると唯然寺、邸内の津島街道・一里塚跡碑(右)と山門。。中川福祉会館前の説明板中川福祉会館前の説明板と佐屋街道の石碑(左)。昭和16年~18年頃中川区の中学校へ通っていたが、当時尾頭橋から長良橋~小本~荒子~下之一色~築地口まで市電(単線)が走り特にこの付近は民家の軒先すれすれにちん○○電車が走っていた懐かしい70年前の思い出の地でした。
長良橋東交差点と約50メートル東にある記念碑。中川運河の長良橋の親柱に刻まれた風景画。
長良橋上から中川運河上流(名古屋駅方面)、と南(名港方面)を見る。第1日目はここで終わります。
佐屋街道その1(平成10年版)佐屋街道(伝馬町~新尾頭)佐屋街道(新尾頭~長良橋)万場宿~神守宿(その1)万場宿~神守宿(その2)佐屋宿へ行く佐屋街道(伝馬町~新尾頭)宮宿へ行く
脇往還:佐屋街道(宮~桑名間の陸路)その3 佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。 国道19号線金山新橋南交差点西南角サークルk前、「鯱(しゃちほこ)の目貫見に 行くさや廻り」:有幸の句にあるごとく金の鯱ほこ見たさにわざわざ佐屋街道廻り
国道19号線金山新橋南交差点西南角サークルk前、「鯱(しゃちほこ)の目貫見に 行くさや廻り」:有幸の句にあるごとく金の鯱ほこ見たさにわざわざ佐屋街道廻りを した人もいたようです。幕末頃にはここから名古屋城が見えたと容易に想像できます 左写真
右写真は佐屋街道道標。ここが美濃路と分かれる追分です. 左この道標南約600メートルの熱田神宮第一神門址の石碑。ここに北入り口の朱塗りの大鳥居が 立っていました。伏見通り西側歩道に背を向けていますが拡幅前は今の車道が佐屋街道そのもので した
尾頭橋と佐屋道標(金山新橋南交差点西南角)から佐屋街道を見る、 街道東の入り口付近。
尾頭橋欄干に取り付けられた案内板を拡大したもの。
尾頭橋欄干に貼り付けられた新橋風景案内板。左は尾頭橋上から堀川上流(名古屋城)方面を見る。
新幹線ガード下を過ぎると唯然寺、邸内の津島街道・一里塚跡碑(右)と山門。
中川福祉会館前の説明板
中川福祉会館前の説明板と佐屋街道の石碑(左)。昭和16年~18年頃中川区の 中学校へ通っていたが、当時尾頭橋から長良橋~小本~荒子~下之一色~築地口ま で市電(単線)が走り特にこの付近は民家の軒先すれすれにちん○○電車が走って いた懐かしい
長良橋東交差点と約50メートル東にある記念碑。
中川運河の長良橋の親柱に刻まれた風景画。
長良橋上から中川運河上流(名古屋駅方面)、と南(名港方面)を見る。第1日目はここで終わります。
次は岩塚宿~万場宿佐屋宿へ行く 佐屋街道(伝馬町~新尾頭)宮宿へ行く
金山新橋南交差点
原ファイル: saya3.htm