中山道・中津川宿(その2)
街道
編集部確認 2026年4月
中山道・中津川宿(その2)今日はここ中津川橋西詰めから坂本地区を通り大井宿の境界まで旅します。
写真は大井橋の欄干で撮ったものです。上記広重画はこの場所近くから描かれたものと思います。
駒場村の高札場跡。小手ノ木坂。小手ノ木坂に建っています。双頭一身道祖神(左)。三叉路の石の道標「左 苗木道 右 中山道」(右下)。
上宿一里塚と見慣れない「明治天皇御鳳輦前駆奉仕蹟」。明治13年明治天皇巡幸の際、駒場村の青年達が懸命に馬車の先引きを行い小手ノ木坂を通したといわれます。
小石塚の立場跡。ここから中山道は道路改修のため消滅しています。小石塚の立場跡の向かい側に建っています。
将監塚と街道。六地蔵石憧。坂本神社八幡宮と弘法大師祠。坂本神社八幡宮参道入り口付近に千旦林高札場跡があります。
千旦林:県道と合流点にある道標など(左)。旧中山道は右写真、左の細い道へ入ります。
。jrリニア駅と車両基地は中津川市千旦林付近と発表されました。ひっそりと立つ三ツ家の一里塚跡石碑と街道。
茄子川村の高札場跡(右)。高札場跡から見る恵那山の遠望、一番高い山(左)。坂本観音。
尾州白木改番所跡。篠原家は本陣、脇本陣と同様な役目も担われた。フリー百科事典:明治天皇の東京行幸。フランスの新聞雑誌(英語版)『ル・モンド・イリュストレ(フランス語版)』(フランス語版)』1869年2月20日刊行号内の挿絵。
。恵那市と中津川市境界(恵那市側から撮る)。右写真の方向に進み甚平坂を越え大井宿へ入ります。
これより中仙道(岐阜県内)中仙道(関が原宿その1)中山道・赤坂宿(その1)
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中山道・中津川宿(その2) 今日はここ中津川橋西詰めから坂本地区を通り大井宿の境界まで旅します。 写真は大井橋の欄干で撮ったものです。 上記広重画はこの場所近くから描かれたものと思います。 中津川橋 駒場村の高札場跡。 小手ノ木坂。 小手ノ
上記広重画はこの場所近くから描かれたものと思います。 中津川橋
上記広重画はこの場所近くから描かれたものと思います。 中津川橋
駒場村の高札場跡。
小手ノ木坂。 小手ノ木坂
小手ノ木坂に建っています。
双頭一身道祖神(左)。三叉路の石の道標「左 苗木道 右 中山道」(右下)。 双頭一身道祖神
上宿一里塚と見慣れない「明治天皇御鳳輦前駆奉仕蹟」。明治13年明治天皇巡幸の際、 駒場村の青年達が懸命に馬車の先引きを行い小手ノ木坂を通したといわれます。 上宿一里塚
小石塚の立場跡。ここから中山道は道路改修のため消滅しています。 小石塚の立場跡
小石塚の立場跡の向かい側に建っています。
将監塚と街道。
六地蔵石憧。
坂本神社八幡宮と弘法大師祠。坂本神社八幡宮参道入り口付近に千旦林高札場跡があります。
千旦林:県道と合流点にある道標など(左)。旧中山道は右写真、左の細い道へ入ります。 千旦林:県道合流点。
ひっそりと立つ三ツ家の一里塚跡石碑と街道。
茄子川村の高札場跡(右)。高札場跡から見る恵那山の遠望、一番高い山(左)。
坂本観音。
尾州白木改番所跡。
篠原家は本陣、脇本陣と同様な役目も担われた。 中山道・茄子川 フリー百科事典: 明治天皇の東京行幸。フランスの新聞雑誌(英語版)『ル・モンド・イリュストレ(フランス語版)』 (フランス語版)』1869年2月20日刊行号内の挿絵。
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原ファイル: nakatugawa-syuku2.htm