脇往還:佐屋街道(神守宿その2)

脇往還:佐屋街道(神守宿その2)佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。脇往還・佐屋街道は東海道宮宿~桑名宿間は距離が長く旅人の便利をはかるためこの万場宿、神守宿、佐屋宿が設けられた。

伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経の弓掛松跡(現在のは5代目と云われる)。街道下田橋西の民家の庭先にありますので声を掛けてご覧下さい。第4日目は2011.11.18日ここからスタートします。

佐屋街道に唯一今も残る神守一里塚。中町にある「神守村道路元標」と養源寺。神守宿の本陣、高札場があった中町付近の街並み。

神守宿の案内標柱、このあたりに本陣があった。神守宿が設けられたときに憶感神社、吉祥寺が移転されたと伝わる。

右:憶感神社(おっかん)と付近の街道、このあたりに本陣があった。吉祥寺境内の延命地蔵堂、神守宿場時代村人の厚い信仰により建立された。

吉祥寺本堂と境内にある弘法大師銅像。左、神守宿の西の木戸(入り口)付近、遠く左の森は穂歳(ほうとし)神社。右は神守宿跡の案内標柱付近。

穂歳神社と今も残る宿場の町並み。藤島神社と街並み(津島市内)。佐屋街道その1(平成10年版)佐屋街道(伝馬町~新尾頭)佐屋街道(新尾頭~長良橋)万場宿~神守宿(その1)万場宿~神守宿(その2)佐屋宿へ行く次は万場宿~神守宿(その1)宮宿へ行く

脇往還:佐屋街道(神守宿その2) 佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。脇往還・佐屋街道は東海道宮宿~桑名宿間は 距離が長く旅人の便利をはかるためこの万場宿、神守宿、佐屋宿が設けられた。 伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経
脇往還:佐屋街道(神守宿その2) 佐屋街道:長良橋東付近の歩道埋め込み道標。脇往還・佐屋街道は東海道宮宿~桑名宿間は 距離が長く旅人の便利をはかるためこの万場宿、神守宿、佐屋宿が設けられた。 伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経
伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経の弓掛松跡(現在のは5代目と 云われる)。街道下田橋西の民家の庭先にありますので声を掛けてご覧下さい。第4 日目は2011.11.18日ここからスタートします。 源義経の弓掛松跡
伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経の弓掛松跡(現在のは5代目と 云われる)。街道下田橋西の民家の庭先にありますので声を掛けてご覧下さい。第4 日目は2011.11.18日ここからスタートします。 源義経の弓掛松跡
伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経の弓掛松跡(現在のは5代目と 云われる)。街道下田橋西の民家の庭先にありますので声を掛けてご覧下さい。第4 日目は2011.11.18日ここからスタートします。 源義経の弓掛松跡
伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経の弓掛松跡(現在のは5代目と 云われる)。街道下田橋西の民家の庭先にありますので声を掛けてご覧下さい。第4 日目は2011.11.18日ここからスタートします。 源義経の弓掛松跡
佐屋街道に唯一今も残る神守一里塚。 神守一里塚
佐屋街道に唯一今も残る神守一里塚。 神守一里塚
中町にある「神守村道路元標」と養源寺。 養源寺
中町にある「神守村道路元標」と養源寺。 養源寺
神守宿の本陣、高札場があった中町付近の街並み。
神守宿の本陣、高札場があった中町付近の街並み。
神守宿の案内標柱、このあたりに本陣があった。神守宿が設けられたときに憶感神社、 吉祥寺が移転されたと伝わる。
神守宿の案内標柱、このあたりに本陣があった。神守宿が設けられたときに憶感神社、 吉祥寺が移転されたと伝わる。
右:憶感神社(おっかん)と付近の街道、このあたりに本陣があった。 憶感神社
右:憶感神社(おっかん)と付近の街道、このあたりに本陣があった。 憶感神社
吉祥寺境内の延命地蔵堂、神守宿場時代村人の厚い信仰により建立された。
吉祥寺境内の延命地蔵堂、神守宿場時代村人の厚い信仰により建立された。
吉祥寺本堂と境内にある弘法大師銅像。
吉祥寺本堂と境内にある弘法大師銅像。
左、神守宿の西の木戸(入り口)付近、遠く左の森は穂歳(ほうとし)神社。右は神守宿跡の案内標柱付近。
左、神守宿の西の木戸(入り口)付近、遠く左の森は穂歳(ほうとし)神社。右は神守宿跡の案内標柱付近。
穂歳神社と今も残る宿場の町並み。 穂歳神社
穂歳神社と今も残る宿場の町並み。 穂歳神社
藤島神社と街並み(津島市内) 藤島神社。
藤島神社と街並み(津島市内) 藤島神社。
次は佐屋宿(その1)佐屋宿へ行く 次は万場宿~神守宿(その1)宮宿へ行く
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原ファイル: kamori2.htm