広重「御油旅人留女」

御油の松並木
御油の松並木は約600メートル続いており、東海道を旅する人々たちに、夏は緑の木陰で暑い日差しを遮り、冬には寒い風雪から身を守り、時には心地よい松風の音を聞きながらという配慮から、当初650本を植えられたものでした。
植え付けられた松の樹に対しては幕府の管理は厳重を極め一本たりともゆるがせには出来ませんでした。周辺の村々に義務付けされていました。このように幕府の手厚い保護政策と地元の熱意により、江戸時代の松並木の面影を残すのは全国で御油が唯一のもので、昭和19年に国の天然記念物に指定され、現在では100年以上の古木がほぼ90本と、補植松がほぼ250本、総数340本余の松並木となっています。
その後1752年、1883年には大々的に補植、土手の修理などがなされたという記録が残っています。

松並木資料館
(以上松並木資料館の案内書から)この資料館の玄関脇(写真正面、かげで見にくい)には当初に植えられた、樹齢ほぼ380年の松の根っこと幹が展示されています。内部には御油、赤坂、国府地区の復元模型など当時の掛け軸、文書、火事場装束や旅装束、消火用ポンプ、医者の往診に使った駕籠などが展示されています。

御油の町並みと史跡
御油の町並みには写真のような史跡を示す木柱が建てられています。上左から本陣跡、人馬継所跡、下左からベルツ博士の妻ハナの実家跡、高札場跡となっています。ベルツ博士は日本の医学に大きな功績を残した方ですが日本人妻のハナさんの祖父はここ御油に住み、その史跡である。

弥次喜多道中と松並木
松並木の脇にこの掲示版がある。弥次喜多道中の二人がこの松並木で狐に化かされた物語が記されています。弥次さんは宿場の女に留められ、この先の松並木には悪いキツネが化かすからここに泊まれと言われたが、先に立った喜多八を追ってここに差し掛かると松の根っこに喜多八が弥次さんを待っていました。弥次さんはキツネが喜多八に化けていると思い、喜多八を取り押さえ手ぬぐいで縛り赤坂まで連れて行ったとのこと。
御油の松並木は松並の後ろの竹薮が鬱蒼と茂り、夜ともなると一人歩きは勇気のいるもので、この松並木は度胸試しにもよく利用されていたようです。

12年後の松並木
御油の町並みと松並木街道。12年後東北側の松と竹林は大きく変わっていました。以上平成10年5月31日撮影。

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※ 御油の松並木は国の天然記念物として現在も保護されており、豊川市教育委員会が松くい虫対策や樹勢回復事業を継続しています。2013年には松並木と音羽川の間に御油松並木公園が開園しました。
執筆推定: 1998-05-31 / 原ファイル: goyu.htm