豊臣秀吉特集(その3,ねね出生地)歴史書によればねねの出生地は尾張の国清洲の朝日村と書かれたものが多い。そこで朝日村の厳島神社を尋ねた。由緒によれば2000年前の石器、弥生時代の遺品が発掘された朝日遺跡(村全体の7割が発掘対象といわれる、愛知県史跡、貝殻山貝塚公園)の近くにあります。犬と散歩の古老にねねの生まれを尋ねたが知らないという。家は代代信長の小姓の子孫で,見ず知らずの私に後で代代伝わる仏壇を見てくれという。後日姓だけ聞いていたので近くのおばさんに尋ねたらこの辺は皆猪子の姓ばかりで名前を聞かなければ判らないという。折りをみてもう一度行きたい。愛知県図書館蔵書「尾張史跡」をコピー拡大したものです。
10年ぶりやっと確認できました。清洲山王社の日吉神社(清洲城南約700メートル)の案内によれば秀吉公は出生不明とし、清洲町朝日在住の母が当社祈願で授けられた神の子であり幼名を日吉丸と名付けた。当神社の神の使い日吉猿に似ていたとも伝えられています。秀吉夫人ねねも深く当神社を崇敬され、三十六歌仙額、垣根、神宮寺の薬師堂などの寄進をされたとあります。リンク:日吉神社境内にあります。
日吉神社にある古い西春日井郡伝説集には写真のような記述がありました。史跡:浅野公園内ねねの歌碑とねねの水。黄色の矢印。
左上:「ねねの水」と井戸。右上は公園入り口付近。下2枚は碑文と裏面の説明書。浅野長勝屋敷跡(左)。の屋敷跡と伝えられ、浅野長政は長勝の婿養子、豊臣秀吉の妻ねねも長勝の養女です。右は屋敷内角にある石碑(左写真黄色の矢印)。
関連リンク:東海道五十三次、名古屋で生まれた秀吉・ねねを偲ぶ旅国の重要文化財である津島の堀田家の建物です。「秀吉が奉公しておった堀田家はすでにありませんが、その流れをくむ堀田家の住居は江戸中期の町家建築様式を今に伝えている」と津島市のホームページに書かれています。名鉄津島線津島駅下車西へ(約1.1キロ)が便利です。秀吉の母(なか)大政所の居宅跡豊臣秀吉特集(福島正則)豊臣秀吉特集(その3,ねね出生地)豊臣秀吉特集(その4、蜂須賀小六)秀吉特集(その5,墨俣一夜城)吉乃(信長の側室)の生駒屋敷址「朝日遺跡よみがえる弥生の技」。ねね(秀吉の妻)の生まれ故郷でもあります。
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原ファイル: hideyos3.htm