平針駅周辺案内(その2)

平針駅周辺案内(その2)名古屋市交通局リンク:左は駅前から西、植田~八事方面。右は駅前か東、赤池~豊田方面を撮る。

秀伝寺。曹洞宗。明応2年(1498)僧宗栄の創建。文禄元年(1588)の冬に焼失して廃寺となっていた。

その後、徳川家康の命により、日進村龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて慶長17年(1612)再興された。

御本尊の釈迦牟尼仏は、享保10年(1725)に作られたもの。天白区役所説明文引用左写真は秀伝寺北交差点から平針街道西、原~八事方面を撮る。右は東方面赤池~日進方面を撮る。

慶長1717年(1612)徳川家康の命により、三州岡崎から名古屋城への近道として造られた。この街道は、江戸時代の主街道である五街道の一つ東海道に対して、姫街道とも脇街道ともいわれた。

街道の両側には松並木が続いていたが、太平洋戦争中、造船などの必要から伐採され、今では跡形もない街道開通に際して人馬の継場(つなぎば)が必要であったことから、郷の島にあった16軒の農家に移転を命じ街道ぞいに移り住まわせ、「平針宿」が誕生した。その後、足助街道、熱田街道の交わる交通の要所として発展し、本陣、脇本陣も設けられ、宿場として大いに賑わった。天白区役所説明文引用三河の岡崎(ここで旧東海道と別れる)と名古屋城を結ぶ近道として徳川家康によって開かれたのが、駅すぐ南(200メートル)を通るです。平針で飯田街道と合流、市中心部を東南から西北へ斜めに横切る唯一の近道、テレビ塔付近から北上して美濃街道と合流しと繋がっていました。

赤池城址。丹羽氏の一族である丹羽信秀の居城といわれている。 下記の龍淵寺を参照。

駅から龍淵寺へ行く途中のカトリック平針教会と龍淵寺前の道。龍淵寺。岩崎・丹羽氏の一族である丹羽秀信が天正元年(1573)建立した。

リンク:龍淵寺境内、左から如意輪観音、仏足石、椎の木。龍淵寺境内、七福神堂(左)とマニ車、平針駅から南東へ約900メートル自然(近くまで住宅開発がすすんでいる)と林に囲まれて建っている。

大同4年(809年)京都御所炎上の折り、京へ上った遠州秋葉山三尺坊尊が帰路立ち寄って創建したとされる永禄三年(1560年)桶狭間の戦いの時、織田信長はこの寺に祈願し勝利を得たので三尺坊尊の尊像を寄進したといわれる。

毎年12月16日には火渡り神事が行われる。慈眼寺から更に200メートル南へ行ったところにあるこの針名神社は広大な自然林に囲まれ野鳥の保護区になっております。社殿等も参道も立派な神社です。

平針駅周辺案内(その1)平針駅周辺案内(その2)平針駅周辺案内(その3、しだれ梅)平針駅周辺案内(その4)原(上小田井、岩倉行き)赤池(赤池、豊田市行き)

インターネット地図検索サービス「るーとMap」で、行き先までの道順を調べよう

街道コース
街道コース
赤池城址。丹羽氏の一族である丹羽信秀の居城といわれている。 下記の龍淵寺を参照。 赤池城址
赤池城址。丹羽氏の一族である丹羽信秀の居城といわれている。 下記の龍淵寺を参照。 赤池城址
赤池城址。丹羽氏の一族である丹羽信秀の居城といわれている。 下記の龍淵寺を参照。 赤池城址
赤池城址。丹羽氏の一族である丹羽信秀の居城といわれている。 下記の龍淵寺を参照。 赤池城址
平針駅から南東へ約900メートル自然(近くまで住宅開発がすすんでいる)と林に囲まれて建っている。 大同4年(809年)京都御所炎上の折り、京へ上った遠州秋葉山三尺坊尊が帰路立ち寄って創建したとされる 永禄三年(1560年)桶狭間の戦いの時、
平針駅から南東へ約900メートル自然(近くまで住宅開発がすすんでいる)と林に囲まれて建っている。 大同4年(809年)京都御所炎上の折り、京へ上った遠州秋葉山三尺坊尊が帰路立ち寄って創建したとされる 永禄三年(1560年)桶狭間の戦いの時、
慈眼寺から更に200メートル南へ行ったところにあるこの針名神社は 広大な自然林に囲まれ野鳥の保護区になっております。社殿等も参道も立派な神社です。 平針駅周辺案内(その1) 平針駅周辺案内(その2) 平針駅周辺案内(その3、しだれ梅) 平針
慈眼寺から更に200メートル南へ行ったところにあるこの針名神社は 広大な自然林に囲まれ野鳥の保護区になっております。社殿等も参道も立派な神社です。 平針駅周辺案内(その1) 平針駅周辺案内(その2) 平針駅周辺案内(その3、しだれ梅) 平針
祭りコース
祭りコース
当駅鶴舞線次は
当駅鶴舞線次は

原ファイル: hirabar2.htm