愛知・38市史跡・社寺めぐりー尾張一宮市(その1)この木曽川河川敷公園の対岸に鎌倉街道・羽島市南宿・北宿の「及が橋」があります。
「及が橋」付近の拡大図(愛知県図書館蔵書コピー)賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れまた多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。
賀茂神社境内の古神門。霊泉玉ノ井清水。飲めますの案内で水道水以外は何十年記憶に無いが飲みました。まろやかな後味の良い感じがしました(左)。右は鎌倉初期の歌人飛鳥井雅経の歌碑。
念敬寺と墨宇吉の像(黄色の矢印)。宇吉は尾州織物の改良を頼まれ研究努力の結果,目を見張る艶出し技術の尾州織物を完成させた。
ウィキメディア・コモンズ経由で・紙本著色『行く春図』(左隻)川合玉堂筆 六曲屏風 重要文化財川合玉堂生誕の地、記念碑前の街道。木曽川図書館前に建っています。
剣光禅寺。尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持っていた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。
現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。当時はすぐ東の境内ではなかったかと思われます。
山内一豊生誕地の黒田城跡右は黒田城跡、。左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。JR木曽川駅南端の児童公園にある正岡子規見染塚。関連:大神神社。
薬師寺。尾張猿田彦神社。リンク:善福寺。善福寺境内の「福士幸次郎先生原日本考発想之地」碑(左)。「尾張は日本のメソポタミヤであり、木曽長良の両川はチグリス、ユウフラテスにあたる」の記念碑(右)である。
リンク:福士幸次郎先生は善福寺に2ヶ月逗留しました。宝勝寺。臨済宗妙心寺派。広大な境内を誇る妙興寺の総門。名鉄線の駅名にもなっています。
妙興寺の総門をくぐると勅使門。左:妙興寺仏殿。右山門。妙興寺境内にあります。妙興寺境内にあります。
妙興寺境内にあります。宝匡印塔。境内散策は大自然の中のようです。妙興寺から西へ約600m、ゴルフセンターすぐ西にあります。
牛野神明社。左写真の細い道が鎌倉街道といわれます。牛野神明社と境内の照手姫袖掛け松。
河曲橋。現大江川に架けた鎌倉街道の橋であった。源平盛衰記に源行家が下津に陣し此処で決戦したと伝え、尾張藩主徳川義直がこの橋を架けたという。
鎌倉街道資料を参考にし跡形ない道を方向付けして東へ進む。jr線をくぐりすぐ右手の油田遺跡(右写真)です。
更に東へ行くと県道沿いに赤池古墳(左)がある。赤池古墳から更に東へ約500m、八剣社の森が目に入る、鳥居すぐ横に石地蔵が3体向き合っている(黄色矢印)八剣社から南下し、赤池古墳から来る道と合流する地点(右写真,黄色矢印)に建っています。
赤池一里塚址の碑文を拡大したものです。油田遺跡。二回目の訪問です。中仙道往還:美濃路の旅(萩原宿→起宿)リンク:名鉄1700-2300系前面展望 特急岐阜行中部国際空港発。
愛知38市名古屋ハイビジョン動画館




















原ファイル: itinomiyasi.htm