岩塚駅周辺案内(その1)

岩塚駅周辺案内(その1)名古屋市交通局リンク:左は駅前から北、中村公園~本陣方面。右は駅前から南、八田~高畑方面を撮る。上部は都市高速5号万場線。

右:佐屋街道烏森地区。中:烏森郵便局。左は相応寺。佐屋街道と柳街道の分かれ道(上記烏森郵便局)にあった柳街道道標が境内にあり、秋葉社の灯明の台座に利用されています。柳街道は南西部より市の中心部に向かう唯一の道でした。昭和初期まで、烏森や岩塚から名古屋の学校に通学する生徒は毎朝夕約1里のこの道(左写真)を通ったといわれます。中村区役所説明引用。

上記八幡社半年後訪問、境内秋葉社前道標を確認するため写真(中2枚)を撮りました。かすかに「左なごや」の文字が読み取れます。関連:関連:願成寺。僧行基の創建と伝えられるこの寺は、眼病治癒を祈願する寺として有名です。聖武天皇の皇女孝謙天皇が眼病に悩まされていたとき、行基が平癒をお祈りしたところ、速やかに願がかなえられ、以来両天皇の勅願所として、願成就寺の勅額を賜ったと伝えられます。中村区役所説明引用薬師堂。願成寺のすぐ北。本尊は薬師如来。左右に立つ仏法守護の神金剛力士像は鎌倉時代の秀作といわれ、共に310cmの像高を示し、その古様さと優秀さは県下でも最高のものといわれます。向かって右方に立つ阿(あ)像は口を開き、万物の根元、ものの初めを表し、左方に立つ吽(うん)像は口を閉じ万物の終わり、ものの終わりを表し、この二像で世界の両面を表しているといわれます。中村区役所説明引用。右は境内の八剣神社。

以下佐屋街道と重複します。七所社は駅から西へ約1.3キロ都市高速道路沿い、庄内川に架かる万場大橋の東北下にあります。尾張三大奇祭の一つで、旧暦の1月17日、笹竹を若衆が担いで庄内川に入り、竹の折れる方向でその年の豊作を占うという祭りです。市の無形民族文化財に指定されています。又この境内には周囲に濠を巡らせているもの(写真上左)と拝殿の西にあるのと合わせて3つの古墳があり,中村区であるのはここだけであり、岩塚の地名の由来ともなっている。

当日の展示品の数々。笹竹を担いで庄内川へ赴く人達。笹竹が折れる方向で豊凶作を占なう奇祭。

今年は南南東へ折れ、吉兆だという。岩塚は東海道熱田宿から桑名宿の,脇街道(佐屋街道)の宿場町でした。そして金山新橋交差点を左折して佐屋街道に入ります。写真右は岩塚の町並みと岩塚城跡(左の写真)12年5月28日写すリンク:帝国博物学協会:岩塚城跡上記の岩塚宿から対岸(庄内川)の万場宿までの:万場の渡し跡です。左端に常夜灯が見える。16年4月24日写すこの神社の前がである。

岩塚駅その2(佐屋街道:岩塚宿~万場宿)佐屋街道その1(平成10年版)佐屋街道(伝馬町~新尾頭)佐屋街道(新尾頭~長良橋)万場宿~神守宿(その1)万場宿~神守宿(その2)東山線岩塚駅→中村公園駅→中村日赤駅地上走行ムービー(24.7mb)中村公園(藤ケ丘行き)

インターネット地図検索サービス 「るーとMap」で、行き先までの道順を調べよう佐屋街道、(その1)松の木

左は駅前から北、中村公園~本陣方面。右は駅前から南、八田~高畑方面を撮る。上部は都市高速5号万場線。
左は駅前から北、中村公園~本陣方面。右は駅前から南、八田~高畑方面を撮る。上部は都市高速5号万場線。
右:佐屋街道烏森地区。中:烏森郵便局。左は相応寺。 烏森郵便局:相応寺
右:佐屋街道烏森地区。中:烏森郵便局。左は相応寺。 烏森郵便局:相応寺
右:佐屋街道烏森地区。中:烏森郵便局。左は相応寺。 烏森郵便局:相応寺
右:佐屋街道烏森地区。中:烏森郵便局。左は相応寺。 烏森郵便局:相応寺
佐屋街道と柳街道の分かれ道(上記烏森郵便局)にあった柳街道道標が境内にあり、秋葉社の 灯明の台座に利用されています。柳街道は南西部より市の中心部に向かう唯一の道でした。昭 和初期まで、烏森や岩塚から名古屋の学校に通学する生徒は毎朝夕約1里の
佐屋街道と柳街道の分かれ道(上記烏森郵便局)にあった柳街道道標が境内にあり、秋葉社の 灯明の台座に利用されています。柳街道は南西部より市の中心部に向かう唯一の道でした。昭 和初期まで、烏森や岩塚から名古屋の学校に通学する生徒は毎朝夕約1里の
上記八幡社半年後訪問、境内秋葉社前道標を確認するため写真(中2枚)を撮りました。かすかに 「左なごや」の文字が読み取れます。関連:柳街道・明治橋 関連:伝馬橋
上記八幡社半年後訪問、境内秋葉社前道標を確認するため写真(中2枚)を撮りました。かすかに 「左なごや」の文字が読み取れます。関連:柳街道・明治橋 関連:伝馬橋
願成寺。僧行基の創建と伝えられるこの寺は、眼病治癒を祈願する寺として有名です。聖武天皇の 皇女孝謙天皇が眼病に悩まされていたとき、行基が平癒をお祈りしたところ、速やかに願がかなえ られ、以来両天皇の勅願所として、願成就寺の勅額を賜ったと伝え
願成寺。僧行基の創建と伝えられるこの寺は、眼病治癒を祈願する寺として有名です。聖武天皇の 皇女孝謙天皇が眼病に悩まされていたとき、行基が平癒をお祈りしたところ、速やかに願がかなえ られ、以来両天皇の勅願所として、願成就寺の勅額を賜ったと伝え
薬師堂。願成寺のすぐ北。本尊は薬師如来。左右に立つ仏法守護の神金剛力士像は鎌倉時代の秀作と いわれ、共に310cmの像高を示し、その古様さと優秀さは県下でも最高のものといわれます。向かって 右方に立つ阿(あ)像は口を開き、万物の根元、ものの
薬師堂。願成寺のすぐ北。本尊は薬師如来。左右に立つ仏法守護の神金剛力士像は鎌倉時代の秀作と いわれ、共に310cmの像高を示し、その古様さと優秀さは県下でも最高のものといわれます。向かって 右方に立つ阿(あ)像は口を開き、万物の根元、ものの
以下佐屋街道と重複します。
以下佐屋街道と重複します。
七所社は駅から西へ約1.3キロ都市高速道路沿い、庄内川に架かる 万場大橋の東北下にあります。尾張三大奇祭の一つで、旧暦の1月17日、笹竹を若衆が 担いで庄内川に入り、竹の折れる方向でその年の豊作を占うという祭りです。市の 無形民族文化財に指
七所社は駅から西へ約1.3キロ都市高速道路沿い、庄内川に架かる 万場大橋の東北下にあります。尾張三大奇祭の一つで、旧暦の1月17日、笹竹を若衆が 担いで庄内川に入り、竹の折れる方向でその年の豊作を占うという祭りです。市の 無形民族文化財に指
祭りコース
祭りコース
当日の展示品の数々。
当日の展示品の数々。
笹竹を担いで庄内川へ赴く人達。
笹竹を担いで庄内川へ赴く人達。
笹竹が折れる方向で豊凶作を占なう奇祭。
笹竹が折れる方向で豊凶作を占なう奇祭。
今年は南南東へ折れ、吉兆だという。
今年は南南東へ折れ、吉兆だという。
岩塚は東海道熱田宿から桑名宿の,脇街道 (佐屋街道)の宿場町でした。熱田から美濃街道へそして 金山新橋交差点を左折して佐屋街道に入ります。写真右は岩塚の町並み と岩塚城跡(左の写真)12年5月28日写す リンク: 帝国博物学協会:岩塚城跡
岩塚は東海道熱田宿から桑名宿の,脇街道 (佐屋街道)の宿場町でした。熱田から美濃街道へそして 金山新橋交差点を左折して佐屋街道に入ります。写真右は岩塚の町並み と岩塚城跡(左の写真)12年5月28日写す リンク: 帝国博物学協会:岩塚城跡
街道コース
街道コース
上記の岩塚宿から対岸(庄内川)の万場宿までの: 万場の渡し跡です。左端に常夜灯が見える。16年4月24日写す
上記の岩塚宿から対岸(庄内川)の万場宿までの: 万場の渡し跡です。左端に常夜灯が見える。16年4月24日写す
この神社の前が佐屋街道である。
この神社の前が佐屋街道である。
当駅東山線次は
当駅東山線次は

原ファイル: iwatuka.htm