鎌倉街道(木曽川町~一宮市その1)

鎌倉街道(木曽川町~一宮市その1)鎌倉街道(尾張編)をご訪問下さいまして有難うございます。

鎌倉街道は歴史も古く、経路が判然としない部分が多く幾つかの資料を参考にしながら推測を加えて取材しました。地元の方、住職の方などに聞いても不明でした。タイトル写真は各地の道標、標識、案内などを集め編集したものです。尾張編の最初の区間、木曽川町(現一宮市)から同市妙興寺までをリポートします。写真左:豊明市二村山峠の道標と豊明市案内板(右下)。右上は一宮市住吉神社横に建つ鎌倉街道記念碑。

この木曽川河川敷公園の対岸に鎌倉街道・羽島市南宿・北宿の「及が橋」があります。「及が橋」付近の拡大図(愛知県図書館蔵書コピー)賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れまた多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。

賀茂神社境内の古神門。霊泉玉ノ井清水。飲めますの案内で水道水以外は何十年記憶に無いが飲みました。まろやかな後味の良い感じがしました(左)。右は鎌倉初期の歌人飛鳥井雅経の歌碑。

念敬寺と墨宇吉の像(黄色の矢印)。宇吉は尾州織物の改良を頼まれ研究努力の結果,目を見張る艶出し技術の尾州織物を完成させた。

川合玉堂生誕の地、記念碑前の街道。木曽川図書館前に建っています。尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持っていた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。

現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。当時はすぐ東の境内ではなかったかと思われます。

山内一豊生誕地の黒田城跡右は黒田城跡、。左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。JR木曽川駅南端の児童公園にある正岡子規見染塚。関連:白山神社と史跡「馬取り池」の石碑(境内西北角)、池の大蛇が馬を引き込んだという、大きな池があったらしいが、今は住宅地です。鎌倉街道はここから南へ右折し伊冨利部神社へ向かう。この付近は東海・北陸道:一宮木曽川I.Cの西側を南下します。

白山神社前に建っています。伊冨利部神社(いぶりべ)東海・北陸道一宮木曽川I.Cの南西にあります。

伊冨利部神社境内で鬱蒼と茂る森のなかの古墳、

鎌倉街道(木曽川町~一宮市その1)鎌倉街道(木曽川町~一宮市その2)鎌倉街道(稲沢~甚目寺その1)鎌倉街道(稲沢~甚目寺その2)鎌倉街道((東宿→熱田神宮西門その1)鎌倉街道(東宿→熱田神宮西門その2)徳重駅周辺案内(その2,鎌倉街道)野並駅周辺案内(その2,鎌倉街道)鶴里駅周辺案内(その1、鎌倉街道)桜本町駅周辺案内(その1、鎌倉街道)桜本町駅周辺案内(その2、鎌倉街道)鎌倉街道(呼続→熱田神宮東門その1)鎌倉街道(呼続→熱田神宮東門その2)

この木曽川河川敷公園の対岸に鎌倉街道・羽島市南宿・北宿の「及が橋」があります。 「及が橋」付近の拡大図(愛知県図書館蔵書コピー)
この木曽川河川敷公園の対岸に鎌倉街道・羽島市南宿・北宿の「及が橋」があります。 「及が橋」付近の拡大図(愛知県図書館蔵書コピー)
賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れ また多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。 由緒記拡大 賀茂神社
賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れ また多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。 由緒記拡大 賀茂神社
賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れ また多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。 由緒記拡大 賀茂神社
賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れ また多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。 由緒記拡大 賀茂神社
賀茂神社境内の古神門。
賀茂神社境内の古神門。
霊泉玉ノ井清水。玉ノ井清水説明拡大
霊泉玉ノ井清水。玉ノ井清水説明拡大
飲めますの案内で水道水以外は何十年記憶に無いが飲みました。まろやかな 後味の良い感じがしました(左)。右は鎌倉初期の歌人飛鳥井雅経の歌碑。
飲めますの案内で水道水以外は何十年記憶に無いが飲みました。まろやかな 後味の良い感じがしました(左)。右は鎌倉初期の歌人飛鳥井雅経の歌碑。
念敬寺と墨宇吉の像(黄色の矢印)。宇吉は尾州織物の改良を頼まれ研究努力の結果, 目を見張る艶出し技術の尾州織物を完成させた。
念敬寺と墨宇吉の像(黄色の矢印)。宇吉は尾州織物の改良を頼まれ研究努力の結果, 目を見張る艶出し技術の尾州織物を完成させた。
川合玉堂生誕の地、記念碑前の街道。木曽川図書館前に建っています。
川合玉堂生誕の地、記念碑前の街道。木曽川図書館前に建っています。
尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持っていた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。
尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持っていた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。
現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。 当時はすぐ東の法蓮寺境内ではなかったかと思われます。 山内一豊生誕地の黒田城跡
現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。 当時はすぐ東の法蓮寺境内ではなかったかと思われます。 山内一豊生誕地の黒田城跡
右は黒田城跡、 黒田城跡説明拡大。 左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。
右は黒田城跡、 黒田城跡説明拡大。 左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。
JR木曽川駅南端の児童公園にある正岡子規見染塚。関連:今渡の渡し場跡
JR木曽川駅南端の児童公園にある正岡子規見染塚。関連:今渡の渡し場跡
白山神社と史跡「馬取り池」の石碑(境内西北角)、池の大蛇が馬を引き込んだという、 大きな池があったらしいが、今は住宅地です。鎌倉街道はここから南へ右折し 伊冨利部神社へ向かう。この付近は東海・北陸道:一宮木曽川I.Cの西側を南下します。 白
白山神社と史跡「馬取り池」の石碑(境内西北角)、池の大蛇が馬を引き込んだという、 大きな池があったらしいが、今は住宅地です。鎌倉街道はここから南へ右折し 伊冨利部神社へ向かう。この付近は東海・北陸道:一宮木曽川I.Cの西側を南下します。 白
白山神社前に建っています。
白山神社前に建っています。
伊冨利部神社(いぶりべ)東海・北陸道一宮木曽川I.Cの南西にあります。
伊冨利部神社(いぶりべ)東海・北陸道一宮木曽川I.Cの南西にあります。
伊冨利部神社境内で鬱蒼と茂る森のなかの古墳、 伊冨利部古墳拡大
伊冨利部神社境内で鬱蒼と茂る森のなかの古墳、 伊冨利部古墳拡大

原ファイル: kamakura-itinomiya.htm