東海道五十三次四十六番目、亀山宿(その1,平成10年版)

東海道五十三次四十六番目、亀山宿(その1,平成10年版)広重、亀山、雪晴亀山城天守閣は寛永9年に幕命により解体されたため、この多聞櫓が建てられたと伝えられ明治30年に改修され、三重県下で唯一残る城郭建造物です。

満開の桜に浮かぶ多聞櫓、天守閣跡の高い石垣が左の方に見える。満開の桜の間から見る多聞櫓と石垣は広重の絵に描かれている場所に似ている。

亀山宿で唯一の松並木で、坂を登りつめ左折すると一帯は亀山城址で当初三層の天守閣がありましたが寛永9年に解体され、白壁の門、櫓、土塀が連なる景観が蝶々が群れ飛ぶ姿にたとえられ"粉蝶城"とも呼ばれました。

亀山城下にはいくつもの家老屋敷や直角に曲った細い路地が今も名残をとどめています。

屋敷は現在長屋門、土蔵、母屋の一部が残り、近世武家建築の数少ない建造物となっています。

一部病院として利用されています。内部見学は亀山市教育委員会まで申し込んで下さい。平成10年4月5日撮影野村一里塚、県内東海道の12個所の一里塚で唯一残っているもので、当初街道の両側に築かれ、大正3年に南側は取り壊されました。このムクの巨木は幹囲は5メートル高さ20メートルで桑名ー坂下間ただ1ヵ所国の史跡となっています。

亀山宿西の端、京口御門跡の案内版、これより東へ露心庵跡まで総延長2.5キロが亀山宿となっています。

亀山城の一部としての機能を充分備えていたとされ、崖を登る坂道の両側にカラタチが植えられ、したから見上げると門,番所のそびえる姿は壮麗を極めたとある。竪絵東海道の"亀山風雨雪晴"の舞台となったと記されている。

西之丸に建つ白壁造りの壮麗、広大な御殿跡、現在は地区の集会所として利用され、庭園は広く一般に開放されています。

京口御門まであと僅か関宿からの街道が亀山宿に入るとこのような連子格子の建物が目立つ西の丸庭園の入り口、屋敷の内部が庭園となっています。平成10年4月5日撮影お伊勢参りに行くのじゃ次は庄野宿(お江戸日本橋へ)

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亀山城
亀山城

執筆推定: 1998-04-05 / 原ファイル: kameyama.htm