中山道 脇往還:美濃路(萩原宿~起宿その1)宿場名,下段の街道名をクリックして下さい美濃路新川橋西詰めポケットパークにある説明版を拡大。をはじめ、、、、などこの街道を縦横に飛びまくって出世して行った。
出世街道と言われる由縁もここにあると思います。そして彼らを支えた、「まつ」も2キロ圏内(七宝村)に生まれた。
さあ出世?(アクセスアップ)目指して歩こう。公共交通機関をご利用の場合は名鉄・津島 尾西線津島行きに乗車、萩原駅下車が便利です。
初回の旅で美濃路の重要な史跡を見落とし、改め書き加えします。長隆寺本堂・山門説明文拡大一宮博物館に寄託され収蔵展示されています。
中島宮。長隆寺の西隣にあります。下記高木一里塚址から東へ約1.5キロ。美濃路は稲葉宿からここを通り萩宿へと入ります。
中島城址と城址前の街道。中島宮、長隆寺の一本北の道路です。。中島城址の東に建っています。
高木一里塚址。昔は両側にあったようです。今日は名鉄萩原駅から歩いて南東へ約15分ここ高木一里塚址からスタートします。今日も風強く北陸方面は初雪が報じられているが歩くにはちょうどいいかな。2011.12.9今来た道を戻り駅北を横切り商店街を西へ行く。写真は商店街の街並み。
正瑞寺(左)前で右折し北へ行く。正瑞寺山門から商店街を見る。少し行くと問屋場跡、本陣跡がある。
萩原宿問屋場跡と付近の街並み。石碑の文字は3段合成写真。問屋場跡すぐ北、東側。萩原宿本陣跡と付近の街並み。明治24年の濃尾地震で萩原宿の殆どが全壊しました。
馬頭観音菩薩堂と商店街左折角のイワタ電機の北の宝光寺。日光川にかかる萩原橋と上流を写す。下図の史跡「天神橋の渡し跡」参照史跡「天神橋の渡し跡」説明板。
天神橋の渡し跡付近。右は天神神社。北に名神高速道が見える美濃路の右側にある。写真は東塚で十数本の木柱で支えられているが痛々しく心配だ。に書き込まれた川柳に「くたびれたやつが見付ける一里塚」、納得してにっこり。
両側の一里塚を1枚の写真に収める。ポケットパークで「なまこ壁」のトイレとベンチなど完備。
右下は駒塚道追分道標:左へ美濃駒塚(岐阜県羽島市駒塚)を経てを参照。富田一里塚の説明と昭和15年当時の一里塚。
聖徳寺は廃寺となり:へ移転された。重厚で風格のある山門はに移転されています。駒塚道追分道標を過ぎたところから美濃路を西へ廻り津島街道沿いの聖徳寺跡、織田信長と斉藤道三が会見した場所の説明板。
聖徳寺跡から北へ約400メートルの合流点(美濃路と津島道)冨田横断歩道橋、稲沢9キロとある。
美濃路(萩原宿~起宿その1)美濃路(萩原宿~起宿その2)美濃路:名鉄尾西線萩原駅これより美濃路美濃路(名古屋宿その1)美濃路(その4西区内)美濃路(清須宿その1)美濃路(清須宿その2)美濃路(萩原宿~起宿その1)美濃路(萩原宿~起宿その2)美濃路(墨俣宿その1)美濃路(墨俣宿その2)美濃路(大垣宿その1)美濃路(垂井宿その1)美濃路(垂井宿その2)美濃路(垂井宿その3)これより中仙道東・中・美:環状歴史・出世街道中仙道(関が原宿その1)中仙道(関が原宿その2)中仙道(柏原宿その1)中仙道(柏原宿その2)中仙道(柏原宿その3)中仙道(醒ヶ井宿その1)中仙道(醒ヶ井宿その2)中仙道(高宮宿その1)中仙道(高宮宿その2)これより東海道東・中・美:環状歴史・出世街道美濃路(萩原宿~起宿その2)垂井宿へ行く宮宿へ行く中仙道往還:美濃路の旅(名古屋宿第1部)中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第1部)中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第2部)
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原ファイル: minoji-hagiokosi.htm