中山道 (脇往還:美濃路 名古屋宿その1)中山道 (脇往還:美濃路)をご訪問下さいまして有難うございます。
宿場名,下段の街道名をクリックして下さいウィキメディア・コモンズ経由で・佐屋路と周辺の主要街道[? 1]佐屋路と周辺の主要街道美濃路新川橋西詰めポケットパークにある説明版。名古屋宿と呼ばれたが本陣や脇本陣は置かず、大木戸、高札場、人馬継ぎ立て所、札の辻、立て場など設けられた。タイトル街道図はここの街道図を撮影、編集したものです。
をはじめ、、、、、などこの街道を縦横に飛びまくって出世して行った。出世街道と言われる由縁もここにあると思います。
そして彼らを支えた なか(秀吉の母・大政所)は、、「まつ」も2キロ西(七宝村)に生まれた。
さらにこの近くには蜂須賀小六、福島正則も生まれ秀吉公に仕えた。、美濃路の追分にあたる国道19号線金山新橋南交差点西南角サークルを見て(左)伏見通り東側を伝馬町筋札の辻を目指してスタートする。風強く向い風で今秋一番の寒さだ、2011,11,24。
中仙道往還:美濃路の旅第1部伝昌寺、芭蕉句碑「ぬれてゆく人もをかしや雨の萩」もある(右写真)。ここ古渡3丁目は古渡(美濃路)一里塚があったとされるが何も確認できるものありません三回目やっと探し当てました。(下段参照)東別院:伏見通りの古渡町交差点を東へ約100メートル、壮大な山門、大伽藍が見えてきます。
東別院の境内にあります。開門中は自由に参観できます。奥に見える石碑が明治天皇行在所旧跡鎌倉街道、美濃路の交差する100メートルほど東で、すぐ前には東別院があります。
右は橘座跡と向き合っていた明治天皇行在所旧跡。ここに名古屋宿へ入る大木戸跡(左:交番所)が置かれていたが明治5年(1872)廃止された。
右写真は大木戸跡前で伏見通りと別れ美濃路(本町通り)となりと通じる。伝馬町(熱田)一里塚跡からまで途中にもう1箇所(約4キロ毎)古渡付近になければならない筈ですが確認するものがありません。美濃路は橘町大木戸跡を起点とすればここに表示が欲しいものです。
三回目やっと探し当てました。大きな大きな古渡交差点南東角歩道脇に60cX20c高さ60c位の古い小さな木製の板がに建っていました。(作者不明)。見付けた喜びは3倍でした(2012.1.25)に書き込まれた川柳に「くたびれたやつが見付ける一里塚」、納得してにっこり。台風が来たら吹き飛んでしまいそうですから大事に保存して下さい。
故三代目中村翫雀の墓碑など有名人の墓碑があります。ここより100メートル東へ行くと切支丹遺跡博物館と千人塚のある栄国寺があります。
織田信長:桶狭間出陣のとき戦勝を祈願したと伝えられる日置神社。美濃路から50メートル西に入る。
大須交差点手前で左折約50メートルのところです。上記西本願寺別院境内に入りすぐ左。
大須交差点左へ約100メトルの古刹・七つ寺。いくつもの幟が目印。美濃路の大須商店街、クリスマス用品が並ぶお店は華やか。右は店の北から左折しすぐの。
陽秀院の斜め向かいの大光院。若宮大通を過ぎ美濃路東側に建っています。左は付近の街並み。
宿学旅行で東・中・美-環状歴史・出世街道(第1部)
(秀吉公城下町・長浜市その1)(秀吉公城下町・長浜市その2)
これより美濃路美濃路(名古屋宿その1)美濃路(その4西区内)美濃路(清須宿その1)美濃路(清須宿その2)美濃路(萩原宿~起宿その1)美濃路(萩原宿~起宿その2)美濃路(墨俣宿その1)美濃路(墨俣宿その2)美濃路(大垣宿その1)美濃路(垂井宿その1)美濃路(垂井宿その2)美濃路(垂井宿その3)これより中仙道東・中・美:環状歴史・出世街道中仙道(関が原宿その1)中仙道(関が原宿その2)中仙道(柏原宿その1)中仙道(柏原宿その2)中仙道(柏原宿その3)中仙道(醒ヶ井宿その1)中仙道(醒ヶ井宿その2)中仙道(高宮宿その1)中仙道(高宮宿その2)これより東海道東・中・美:環状歴史・出世街道佐屋街道(金山南新橋追分)宮宿へ行く美濃路(名古屋宿その2)垂井宿へ行く中仙道往還:美濃路の旅(名古屋宿第1部)中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第1部)中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第2部)中仙道往還:美濃路の旅(萩原宿→起宿)
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原ファイル: minoji-nagoya1.htm