中山道・贄川(にえかわ)宿歌川広重 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で塩尻市桜沢地区の「是より南 木曽路」という文字を見て旅人は改めて馬籠宿・新茶屋「是より北 木曽路」約22里(90キロ)の難所に臨む心構えを刻んで向かったと思います。訂正:この石碑は昭和15年建立とありますから江戸時代の旅人は見ていませんでした。
裏の文字「歌ニ絵ニ其ノ名オ?知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ヨリニ至ル南二十余里ナリ」を刻んだ石碑、標識などがあったものと思われます。
「是より南 木曽路」石碑「是より南 木曽路」の道標から江戸方(左)、山が無く青い空が広がって明るい。
に対し深い緑が覆いかぶさるような森に入り込んで正に「木曽路はすべて山の中」を実感することになります。
桜沢集落で茶屋本陣を勤められた百瀬家住宅。屋敷前には「明治天皇桜沢御小休所碑」「明治天皇桜沢御膳水」、「明治天皇御駐輦跡(ごちゅうれん)」の石碑が立っています。
若神子(わかみこ)一里塚。旧片平橋 (土木遺産)。鶯着禅寺。桜沢砦跡。横川の蛇石。
贄川駅と駅前の贄川宿の案内板。贄川関所。江戸時代尾張藩の木曽代官山村氏が木曽谷の北の関門として特に婦女の通用、白木の搬出を厳しく取り締まったと記されています。
贄川関所・木曽考古館。関所跡の石碑(左端)。入り口正面(中)。十一面観音を本尊に祀る観音寺。境内には大きな仏像が鎮座し、離れた街道(19号線とjr中央線越し)からも見られます。右は水場でおいしい水を一杯、水道水とは全く違う味木曽路の旅の一齣です。
深沢家住宅(右)と向かい側の本陣跡(左)。深沢家住宅前の街道(左)と近くの秋葉神社・津島神社と掲げられた鳥居と道祖神の石碑が立つミニ神社です。背丈60~70cmくらい。
押込一里塚跡。合流地点の一本松が目印です。楢川支所前の案内板。横に長いので分割してあります。
楢川支所前から参道を登る諏訪神社。右端は楢川支所前の芭蕉句碑「送られつおくりつはてハ木曽の秋」。左2枚は木曽平沢の町並み1。
写真3枚とも木曽平沢の町並み2。この町並みで印象的なのは隣家との境に空地(三角形)を造り(アガモチという)建てられている。参照:にも「稲妻型屋敷割りの道」として現存しています。更に大都市の専門問屋が軒を並べる風景にも似た漆器問屋街。
木曽の建材で作られた漆器の都といった感じです。二十三夜碑と碑文。二十三夜碑付近の街道(左)、案内標識、中山道の石標(右)。
橋戸一里塚は当初右岸道路(奈良井川現遊歩道、左写真)沿いにあったが江戸時代のいずれかの時期に左岸道路に移され使われなくなったと記されています。橋戸一里塚パークの表示(下写真)もあります。ここから約1キロで奈良井宿へ入ります。奈良井川は鳥居峠を分水嶺として信濃川へ流れています。
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原ファイル: niekawa-syuku1.htm