八事日赤駅周辺案内
歴史・人物
編集部確認 2026年4月
八事日赤駅周辺案内名古屋市交通局リンク:
名城環状線、左は駅前から南、八事~新瑞橋方面。右は駅前から北、名古屋大学~本山方面を撮る。
駅と直結する名古屋第二赤十字病院(左)と病院前から南、八事駅方面を撮る。円立寺(左)。正福寺。
浄昇寺。鳥居の横に浄昇寺の石柱が建ち(写真右)、本殿(左)の前に社があり、下記の妙見宮と同じ境内にあります。
徳林寺。もともとは名古屋のど真ん中、中区白川町(現白川公園)にあった浄土宗の寺院で、戦時中強制疎開により八事に移された。
徳林寺。本堂の右側には不動明王が立っている(右)。名古屋城築城の折に堀川から現れたという。
柔和な容貌で「童顔地蔵」といわれる。西光院。開創は永正・大永年間(西暦1504~1527)清須城内に創建され。その後、中区白川町に移り、昭和18年現在地に移転した。朱色の山門は薬医門(やくいもん)で、織田信長が寄進したものと伝えられ、「赤門寺」(あかもんでら)と称されている。
リンク:摂津国,妙見山の御神体が祀られ天保年間(1830から44年)に創建された。「川名の妙見さん」といわれ大正の頃まで多くの参詣者でにぎわったと言う。現在、寺の前にある燈籠(とうろう)は以前「妙見口」といわれた「山中」の交差点にあり、そこから人々は歩いて参詣していた。
香積院(こうしゃくいん)。元禄の頃、貞享4年(1687年)名古屋城下、久屋町の町人味岡次郎四郎によって建立された。龍門とよばれる円形の開口部をもつ門に特色があり、境内には市指定の保存樹木「やまもも」の大木がある。 また、明治14年地祖反対運動の愛農社主小塚鉞助(えつすけ)の碑がある。(昭和区役所案内引用)。
鶴舞線いりなか駅の方が近くです。史跡:般若台。安永年間(1772から1781)、香積院4世の雲臥和尚(うんがおしょう)が引退した後、この地に籠もり「大般若経」を写経したので、この名が付いています。経本六百巻は、香積院に宝物として所蔵されています。この付近は高台になっており、かつては名古屋の城下町が眺望できた絶景の地でした。(昭和区役所案内引用)名古屋大学(循環左回り)日赤八事駅
名城環状線、左は駅前から南、八事~新瑞橋方面。右は駅前から北、名古屋大学~本山方面を撮る。
駅と直結する名古屋第二赤十字病院(左)と病院前から南、八事駅方面を撮る。
円立寺(左)。正福寺。
浄昇寺。鳥居の横に浄昇寺の石柱が建ち(写真右)、本殿(左)の前に社があり、下記の妙見宮と 同じ境内にあります。 浄昇寺
浄昇寺。鳥居の横に浄昇寺の石柱が建ち(写真右)、本殿(左)の前に社があり、下記の妙見宮と 同じ境内にあります。 浄昇寺
徳林寺。もともとは名古屋のど真ん中、中区白川町(現白川公園)にあった浄土宗の寺院で、戦時中 強制疎開により八事に移された。
徳林寺。本堂の右側には不動明王が立っている(右)。名古屋城築城の折に堀川から現れたという。 柔和な容貌で「童顔地蔵」といわれる。
西光院。開創は永正・大永年間(西暦1504~1527)清須城内に創建され。その後、中区白川町に移り、 昭和18年現在地に移転した。朱色の山門は薬医門(やくいもん)で、織田信長が寄進したものと伝 えられ、「赤門寺」(あかもんでら)と称されてい
摂津国,妙見山の御神体が祀られ天保年間(1830から44年)に創建された。「川名の妙見さん」と いわれ大正の頃まで多くの参詣者でにぎわったと言う。現在、寺の前にある燈籠(とうろう)は 以前「妙見口」といわれた「山中」の交差点にあり、そこから
香積院(こうしゃくいん)。元禄の頃、貞享4年(1687年)名古屋城下、久屋町の町人味岡次郎四郎 によって建立された。龍門とよばれる円形の開口部をもつ門に特色があり、境内には市指定の 保存樹木「やまもも」の大木がある。 また、明治14年地祖反
史跡:般若台。安永年間(1772から1781)、香積院4世の雲臥和尚(うんがおしょう)が引退した後、 この地に籠もり「大般若経」を写経したので、この名が付いています。経本六百巻は、 香積院に宝物として所蔵されています。この付近は高台になって
当駅名城線次は
原ファイル: nisekiya.htm