東海道五十三次、 大磯宿(その2)広重、大磯、虎ケ雨新島襄(じょう)終焉の地 (同志社大学創設者)、新島襄は志半ば、47歳の若さでこの地に果てた。
鴫立庵、参照リンク:鴫立沢の碑、参照リンク:街道から細い路地に入り案内板に従う。
参照リンク:旧島崎藤村住宅・静の草屋。関連:この付近の1号線は下から上り線、1段上に下り線、さらに1段上に松並木(太平洋自転車道)が整備されている。
旧伊藤博文邸(現滄浪(そうろう)閣)。参照:旧吉田茂邸:戦後国葬が行われた唯一の人であり、また東京と大磯の自宅を通った政治家としても日本の歴史がここで動いた印象深い元総理の邸跡は大磯へ来たからには是非見たかった。日が暮れてもう午後7時近い。バスで二宮駅へ、小田原駅、名古屋の自宅へは15日、午後10時過ぎ着いた。
後日訪問の17番目の国府本郷一里塚跡。後日訪問の二宮宿(間の宿)18番目の押切坂一里塚跡。
後日訪問の二宮宿(間の宿)の松屋本陣跡、右写真本陣跡前を通り小田原方へ進むと押切坂になる。
次は平塚宿(お江戸日本橋へ)
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原ファイル: ooiso2.htm