下(した)街道・名古屋市内(善光寺街道)

下(した)街道・名古屋市内(善光寺街道)下街道(善光寺街道)をご訪問下さいまして有難うございます。

下街道(善光寺街道)の地名及び写真をクリックして下さい。ここに記されている下街道を名古屋(伝馬会所札の辻・現中区錦)から順にまでレポートいたします。

広小路通り、錦通りを横切り北上、現在の伝馬町筋交差点北西角にある「伝馬会所札の辻」モニュメント江戸時代、名古屋の道路の基点はここでした。

。丸の内駅から東へ約600メートル、本町通りと京町通りの交差点角にあるの分岐点の標識、ここから名古屋城まで約900メートル、は伝馬町筋と本町筋から西へ行き伝馬橋を渡りすぐ右折、四間道へ行く道が美濃街道ですすると2説ありますがこの古い道標を正解といたします。東は(大曽根、勝川、定光寺を経て下街道)善光寺へと記されている。

上記からまっすぐ東進して来た道はここで左折、北へ向かいます。佐野屋という酒屋、味噌屋があったことから「佐野屋の辻」といわれた。

下街道(善光寺街道)・道標

駅から東北へ約600メートル、国道19線と代官町通り交差点にあります。から京町通、鍋屋町通りを東進し、ここで左折して大曽根、春日井を経て善光寺へ向かう。西面(善光寺道)北面(京大阪と人差し指)東面(左端不明)と彫られています。

佐野屋の辻の道標(右)名古屋城方面を撮る。左は東南角、

生誕地の碑(銀行支店の横)。

善光寺街道:桝形道路(黒矢印)。東区相生町。

赤塚交差点東北角、境内に楠公湊川神社があります(左端)。

了義院境内の芭蕉旧跡碑と三日月塚句碑。左端は了義院前に建つお題目碑。

本覚寺。この付近に大木戸、高札場があったといわれます。左は瑞忍寺祖母薬師と云われる。中は圓満寺(祖父薬師と云われる)。右は円満寺前の国道19号線歩道。

薬師殿。大曽根駅から西へ約100mに建っています。地下鉄大曽根駅E6番出入り口階段すぐ横、黄色の矢印の場所に建っています。

大曽根駅から北上約400mで山田天満宮があります。山田天満宮の西隣です。山田重忠旧跡。広福禅寺に隣接する幼稚園の校門前にあります。義仲の滅亡後、源頼朝が鎌倉幕府を創設すると尾張国山田荘(名古屋市北西部、瀬戸市、長久手市の一帯)の地頭に任じられ御家人に列するとあります。

「山田の渡し」と云われた現在の天神橋付近。橋上から矢田川下流(左)と街道が通る瀬古方面を撮る

「山田の渡し」を過ぎ右から順に、次の「勝川の渡し」に通じる瀬古地区の街道風景。

勝川の渡し(庄内川)跡の現在風景。左:勝川橋。右は対岸春日井市方面を撮る。下街道(善光寺街道)下街道(善光寺街道・市内編)下街道(善光寺街道・春日井編その1)下街道(善光寺街道・春日井編その2)下街道(善光寺街道・多治見)下街道(善光寺街道・多治見(その2)下街道(善光寺街道・土岐市)下街道(善光寺街道・瑞浪その1)下街道(善光寺街道・瑞浪その2下街道(善光寺街道・瑞浪その3)上街道(木曾街道)稲置街道(名古屋市内その1)稲置街道(名古屋市内その2)稲置街道(小牧宿その1)稲置街道(小牧宿その2 史跡小牧山 特集)稲(とう)・中・美:濃尾環状歴史街道:稲置街道稲置街道(名古屋市内その1)稲置街道(名古屋市内その2)稲置街道(小牧宿その1)稲置街道(小牧宿その2 史跡小牧山 特集)稲置街道(犬山宿その1)稲置街道(犬山宿その2)稲置街道(犬山宿その3)稲(とう)・中・美:濃尾環状歴史街道:中山道

稲(とう)・中・美:濃尾環状歴史街道:美濃街道美濃路(名古屋宿その1)美濃路(名古屋宿その2)美濃路(名古屋宿その3)美濃路(清須宿その1)美濃路(清須宿その2)美濃路(萩原宿~起宿その1)美濃路(萩原宿~起宿その2)美濃路(墨俣宿その1)美濃路(墨俣宿その2)美濃路(大垣宿その1)中山道・下街道と仲良く並走するjr中央本線平安通(大曽根、循環右回り)黒川(名古屋港、循環左回り)春日井市:史跡・社寺めぐり(その1)春日井市:史跡・社寺めぐり(その2)

善光寺街道名古屋ハイビジョン動画館

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広小路通り、錦通りを横切り北上、現在の伝馬町筋交差点北西角にある「伝馬会所札の辻」モニュメント 江戸時代、名古屋の道路の基点はここでした。 伝馬会所札の辻。
広小路通り、錦通りを横切り北上、現在の伝馬町筋交差点北西角にある「伝馬会所札の辻」モニュメント 江戸時代、名古屋の道路の基点はここでした。 伝馬会所札の辻。
広小路通り、錦通りを横切り北上、現在の伝馬町筋交差点北西角にある「伝馬会所札の辻」モニュメント 江戸時代、名古屋の道路の基点はここでした。 伝馬会所札の辻。
広小路通り、錦通りを横切り北上、現在の伝馬町筋交差点北西角にある「伝馬会所札の辻」モニュメント 江戸時代、名古屋の道路の基点はここでした。 伝馬会所札の辻。
丸の内駅から東へ約600メートル、本町通りと京町通りの交差点角にある善光寺道 の分岐点の標識、ここから名古屋城まで約900メートル、美濃街道2は 伝馬町筋と本町筋から西へ行き伝馬橋を渡りすぐ右折、四間道へ行く道が美濃街道です すると2説あり
丸の内駅から東へ約600メートル、本町通りと京町通りの交差点角にある善光寺道 の分岐点の標識、ここから名古屋城まで約900メートル、美濃街道2は 伝馬町筋と本町筋から西へ行き伝馬橋を渡りすぐ右折、四間道へ行く道が美濃街道です すると2説あり
街道コース
街道コース
上記丸の内角の道標からまっすぐ東進して来た道はここで左折、北へ向かいます。 佐野屋という酒屋、味噌屋があったことから「佐野屋の辻」といわれた。 下街道(善光寺街道)・道標
上記丸の内角の道標からまっすぐ東進して来た道はここで左折、北へ向かいます。 佐野屋という酒屋、味噌屋があったことから「佐野屋の辻」といわれた。 下街道(善光寺街道)・道標
駅から東北へ約600メートル、国道19線と代官町通り交差点に あります。丸の内の道標から京町通、鍋屋町通りを東進し、ここで左折して大曽根、 春日井を経て善光寺へ向かう。西面(善光寺道)北面(京大阪と人差し指)東面 (左端不明)と彫られていま
駅から東北へ約600メートル、国道19線と代官町通り交差点に あります。丸の内の道標から京町通、鍋屋町通りを東進し、ここで左折して大曽根、 春日井を経て善光寺へ向かう。西面(善光寺道)北面(京大阪と人差し指)東面 (左端不明)と彫られていま
佐野屋の辻の道標(右)名古屋城方面を撮る。左は東南角、 子爵田中不二麿生誕地の碑(銀行支店の横)。
佐野屋の辻の道標(右)名古屋城方面を撮る。左は東南角、 子爵田中不二麿生誕地の碑(銀行支店の横)。
善光寺街道:桝形道路(黒矢印)。東区相生町。左端の碑文拡大
善光寺街道:桝形道路(黒矢印)。東区相生町。左端の碑文拡大
赤塚交差点東北角、境内に楠公湊川神社があります(左端)。 赤塚・神明社
赤塚交差点東北角、境内に楠公湊川神社があります(左端)。 赤塚・神明社
了義院境内の芭蕉旧跡碑と三日月塚句碑。左端は了義院前に建つお題目碑。
了義院境内の芭蕉旧跡碑と三日月塚句碑。左端は了義院前に建つお題目碑。
本覚寺。この付近に大木戸、高札場があったといわれます。
本覚寺。この付近に大木戸、高札場があったといわれます。
左は瑞忍寺祖母薬師と云われる。中は圓満寺(祖父薬師と云われる)。右は円満寺前の国道 19号線歩道。 円満寺
左は瑞忍寺祖母薬師と云われる。中は圓満寺(祖父薬師と云われる)。右は円満寺前の国道 19号線歩道。 円満寺
薬師殿。大曽根駅から西へ約100mに建っています。 薬師殿
薬師殿。大曽根駅から西へ約100mに建っています。 薬師殿
地下鉄大曽根駅E6番出入り口階段すぐ横、黄色の矢印の場所に建っています。
地下鉄大曽根駅E6番出入り口階段すぐ横、黄色の矢印の場所に建っています。
大曽根駅から北上約400mで山田天満宮があります。
大曽根駅から北上約400mで山田天満宮があります。
山田天満宮の西隣です。
山田天満宮の西隣です。
山田重忠旧跡。広福禅寺に隣接する幼稚園の校門前にあります。義仲の滅亡後、源頼朝が 鎌倉幕府を創設すると尾張国山田荘(名古屋市北西部、瀬戸市、長久手市の一帯)の地頭 に任じられ御家人に列するとあります。
山田重忠旧跡。広福禅寺に隣接する幼稚園の校門前にあります。義仲の滅亡後、源頼朝が 鎌倉幕府を創設すると尾張国山田荘(名古屋市北西部、瀬戸市、長久手市の一帯)の地頭 に任じられ御家人に列するとあります。
「山田の渡し」と云われた現在の天神橋付近。橋上から矢田川下流(左)と街道が 通る瀬古方面を撮る
「山田の渡し」と云われた現在の天神橋付近。橋上から矢田川下流(左)と街道が 通る瀬古方面を撮る
「山田の渡し」を過ぎ右から順に、次の「勝川の渡し」に通じる瀬古地区の街道風景。
「山田の渡し」を過ぎ右から順に、次の「勝川の渡し」に通じる瀬古地区の街道風景。
勝川の渡し(庄内川)跡の現在風景。左:勝川橋。右は対岸春日井市方面を撮る。 槙ケ根から武並合流点
勝川の渡し(庄内川)跡の現在風景。左:勝川橋。右は対岸春日井市方面を撮る。 槙ケ根から武並合流点

原ファイル: simokaido-sinai.htm