鶴里駅周辺案内(その2)The Tsurusato Station circumference guidance(no.2)>「鳴海潟潮みつ時になりぬれば野並の里に又伝ふなり」「櫻田へ鶴鳴きわたる年魚市潟潮干にけりし鶴鳴きわたる」。
駅から西南へ約1キロ、見晴台遺跡の西約300メートルの笠寺観音(上)、 で毎年節分の日、大変な賑わいをみせる。
また寺には武蔵100年忌に建てられた「新免武蔵守玄信碑」がある。武蔵が滞在したはここから南へ約150メートルのところにある。さらに寺前の旧東海道を南へ約450メートル行ったところにある旧東海道鳴海宿と宮宿のほぼ真中にある笠寺一里塚(下)である。江戸時代の始め,幕府はを起点とし、街道に沿って1里ごとに塚を築き、その上に樹木を植え旅人に距離を知らせるための目印としました。街道を挟んで両側にエノキやムクノキが植えられましたが現在(東海3県)ではこの塚と佐屋街道の、阿野一里塚、来迎寺一里塚、有松一里塚(復元)などがあります。
。平成12年8月1日写す武蔵は仕官先を求めて、東光院(笠覆寺の宿坊)に1年(病気療養のためとも言われる)ほど滞在したという平成15年2月3日節分今年の恵方、笠寺観音(ムービー)笠覆寺境内の玉照姫のお堂。笠寺観音で再建なった玉照堂(玉照姫・兼平公ご夫妻が祭られています。)由緒記(抜粋):雨ざらしでびしょぬれだった観音さまを見て、自分がかぶっていた笠をかぶせた彼女は、京からやってきた青年貴族・藤原兼平(ふじわらのかねひら)公にみそめられ、鳴海の長者の家で仕えていたところから、京に召され、兼平公と結ばれ、玉照姫(たまてるひめ)と呼ばれる事となった。藤原兼平夫妻はその巡り合わせを深く感謝し、この地に大いなる堂を建て、そこにあの、笠をかぶせた観音さまをおまつりし、笠をかぶった寺=笠覆寺(りゅうふくじ)と名付けたことから、笠寺の名の由来となった。彼らの思いと、その良き縁を自らも結ぼうと、現在もこの笠寺観音におまつりされていると記されている。平成15年2月3日写す
右上は宮本武蔵の碑、すぐ左は芭蕉千鳥塚「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」句碑 芭蕉。
左上は延命地蔵堂。右下は六寺蔵。左下は役行者堂。東光院と境内の笠寺天満宮。笠寺天満宮東光院御案内拡大笠覆寺山門前の玉照姫を祀る泉増院。笠寺観音と玉照姫の歴史拡大泉増院内の福寿地蔵尊。
戸部城址。リンク:帝國博物学協会駅からほぼ南へ750メートル、かっては海に面していた見晴台遺跡である。今年も7月10日から8月31日まで第40次の発掘調査が行われている。
この遺跡の一角に"名古屋市見晴台考古資料館(無料)”がありみはらしだい発掘展が開かれている。
写真左は村を守るための周りに濠を張りめぐらし、濠の大きさは幅、深さとも約4メートルを超え断面は鋭いv字型をして、更に外側に土塁を築き、飛び越えることも這い上がることも出来ないよう堅固につくられていました。
見晴台考古資料館(無料)住居跡観察舎内の実物大模型見晴台考古資料館横にある高射砲陣地跡、私も昭和18年この陣地造りでモッコ担ぎをしました。
,鎌倉街道(萱津の東宿跡),,鎌倉街道(北一色村付近)鎌倉街道(山王稲荷神社),,鎌倉街道(大喜寺付近),鎌倉街道(井戸田町地内),鎌倉街道(白豪寺付近),鎌倉街道(鳥栖八剣社付近),鎌倉街道(古鳴海八幡社)駅から南へ約200メートル余りのところにある。
鳴海と桜台を結ぶ渡し船の目印となっていた。,鎌倉街道(萱津の東宿跡),鎌倉街道(北一色村付近)鎌倉街道(山王稲荷神社),鎌倉街道(大喜寺付近),鎌倉街道(井戸田町地内),鎌倉街道(白豪寺付近),鎌倉街道(鳥栖八剣社付近),鎌倉街道(古鳴海八幡社)上記笠寺観音から更に南へ約1キロのところです。
名鉄名古屋本線本笠寺駅から北西約400メートルの笠寺小学校内にあります。鶴里駅を南北に広がる桜台地と呼ばれる地域は、熱田神宮に近く、鎌倉街道も通り古くから人の往来も多く古墳、貝塚、神社などが目立つ。
喚續神社(よびつぎ)・南区社宝の2画像はグーグル・マップリンクです。喚續神社。喚續神社1。社宝に日本で2番目に古い隕石(上記)があります。2021.09.19撮影。
喚續神社2。社殿はすべて西向きに建っています。喚續神社3。星が降る町、星崎町喚續神社4。社殿はすべて西向きに建っています。
日本で1番古い隕石。鶴里駅周辺案内図(その1、鎌倉街道)鶴里駅周辺案内図(その2)鶴里駅周辺案内図(その3)宮本武蔵特集桜本町(中村区役所行き)
インターネット地図検索サービス「るーとMap」で、行き先までの道順を調べよう笠寺観音付近




















執筆推定: 2000-08-01 / 原ファイル: turusat2.htm