源義朝:頼朝・義経公父子の史跡を訪ねて(愛知、その1)熱田神宮・2022年1月10日(成人の日)午後4時頃撮影。
ウィキメディア・コモンズ経由で・神護寺所蔵の三像のひとつ(神護寺三像参照)。神宮西駅西側出口から南へ50メートル国道19号線沿い西側、熱田神宮の向かい側にある誓願寺門前である。
関連:|亀井の湧水を産湯に使った|父義朝が愛知県知多郡、野間大坊父義朝が愛知県知多郡野間で殺されると伊豆に流され、北条氏によって育てられた。
源義朝:頼朝・義経公父子の史跡を訪ねて(愛知、その1)(遠江・駿河・伊豆編、その5)(相模・武蔵編、その6)下の写真の石碑を部分的に拡大したものです妙音通駅から北へ100メートルのところにある龍泉寺です。誓願寺から東へ約2.8キロの距離です。
山門前にある亀井水(写真右)は源頼朝がで生まれた折、この亀井の湧水を産湯に使ったと伝えられ、東海地方屈指の名泉と言われた。またこの寺の横の道は鎌倉街道であったとされる。
2022.01.14日撮影。2022.01.14日撮影。龍泉寺と亀井水、2022.01.14日撮影。
2022.01.14日撮影。千秋家の墓。駅から東北へ約800メートルです。下中八幡宮は後白河天皇の保元元年(1156年)鎮西八郎為朝の創記に係るこの地方の古社である。駅から東南約600メートルの所にあります。。往時この地は東海道(陸路、佐屋街道),東山道(岐阜不破の関周りの東海道)の要衝で、上記秀吉誕生の地常泉寺や。
。光正院。広小路通り一本南の道が正門となっています。下記元古井伝説の井戸のすぐ近く(約100m)で掘れば水が湧き出たものと思われます。
法輪寺は源義経の忠臣:佐藤次信:忠信兄弟の御母が開基した寺です。兄:次信は屋島、弟:忠信は京都で主君義経の身替りとなって戦死。御母は二人の我が子の菩提を弔うため京都へ向かう当地に至り諸堂を修復建立、法輪寺(当時は正宗庵と称す)の礎となると記されています。
法輪寺から名鉄瀬戸線を渡って約100m北にある壇ノ浦公園、やや小型の公園ですが名前が珍しく、なんとなく縁もゆかりも無い壇ノ浦(写真中)の名は法輪寺の創建や3000坪もあった寺域内で源義経にゆかりの名前を取ったものではないかと思います。
右は法輪寺西隣の豊稲稲荷です。笠寺東光院の許可を得て撮影したものです。宮本武蔵遺品は現在一般公開しておられません。
闇之森八幡社。左は闇之森(くらがりのもり)八幡社境内の鎧塚。創建は源為朝といわれる。
境内には天明,安永年間に建立の常夜灯が2基対で立っている。源為朝は源義朝と兄弟。
上は南大門と両側の木像仁王像。左下は南大門すぐ前の角にある道標。リンク:興禅寺。犬山市5回目の訪問で撮影したものです。
興禅寺山門前には「開基梶原景時公」と刻まれた大きな石碑(右)が建っています。日置八幡宮(源頼朝の勘請と伝えられる):道路が改修され神社も新しくされた様子。
その年の豊凶を占なう「日置のくだがゆ」は近郷に聞こえていた。源氏島八幡社。源氏島八幡社いわれ拡大 。
源氏塚。2020.6.29撮影。柴ケ森。平家に追われた源義朝は舟に積んだ柴に隠れ、ここ荷之上村で柴を積み上げた。
関連:伝説(義経が弓を放ったその弓を掛けた松):源義経の弓掛松跡(現在のは5代目と云われる)。街道下田橋西の民家の庭先にありますのでご配慮下さい。第4日目は2011.11.18日ここからスタートします。
瀬門神社境内の案内板。愛知県文化財・神事馬駈馬具説明文。鳳来寺本堂。・伝通院於大夫妻が子宝を授かるよう祈願して家康公が誕生した由緒ある寺であります。で生まれ14歳で松平広忠に嫁ぎ岡崎城で家康を産み母子とも数奇な運命を乗り越えて江戸時代を築きあげた「徳川家康公 愛知史跡めぐり1~11」を終ります。
源義朝:頼朝・義経公父子の史跡を訪ねて(愛知、その1)(遠江・駿河・伊豆編、その5)(相模・武蔵編、その6)




















執筆推定: 2022-01-10 / 原ファイル: yositomo-yoritomo.htm