源義朝:頼朝・義経公父子の史跡を訪ねて(愛知、その3)剣光禅寺。尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持っていた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。
誓願寺境内の左から武蔵坊弁慶像のお堂。中は白山神社。右は誓願寺本堂。二村山(海抜72m)峠付近の案内。
藤井神社(横根町)。建久2年(1191年)源頼朝が亡父・義朝の法要を営むべく野間大坊へ向かう途中に立ち寄り再建したと記されています。
祐福寺鐘楼(山門、上右)。左は本堂など。長田館跡。若林駅から上郷駅まで「おいでんバス」で移動する予定でしたが27年3月31日で廃線となっていましたので名鉄線で上挙母駅まで行き、愛環鉄道・新上挙母駅まで歩く予定を変更し、この長田館跡を訪ね、愛環鉄道・新上挙母駅へ行きます。
光恩寺。2017.9.20訪問。挙母神社。宮口城址(藤五城跡)。上地八幡宮(国重要文化財)。
上地八幡宮・案内板拡大上地八幡宮本殿(国重要文化財、中)と右近の橘(左)、左近の桜(右)。
浄瑠璃ケ渕跡。左端は岡崎公園横に建つ「浄瑠璃姫之墳」。ウィキメディア・コモンズ経由で・浄瑠璃ヶ淵跡にある内藤卯三郎の句碑財賀寺本堂。
。左:泉蔵寺(聖観音菩薩を祀る)。右:牛田八幡社。景清公之旧跡及び「芹沢の井」。
景清公之旧跡/七社神社生目八幡宮。 祭神 品陀和気命・藤原景清公。常福寺と隣接して鎮座。 眼病によく効くといわれる神社です。源平の合戦に敗れた平家の武将で、 源氏の繁栄を見るに堪えられず自分の両目をえぐって失明したといわれます。
最勝寺。。平泉寺。知多新四国霊場第十六番札所。熊野神社。頼朝はこの頼義を特に崇拝すべき源氏の祖先としていた。
正法寺。知多新四国霊場第二十九番札所(左)。右は山門。知多四国霊場会公式サイト安養院。知多新四国霊場第五十三番札所。清州会議で跡目争いに敗れここ安養院で自害した。
知多四国霊場会公式サイト関連:安楽寺。知多四国霊場六十番札所。知多四国霊場会公式サイト羽豆神社本殿。
羽豆神社の指定文化財及び社伝。正衆寺。千賀氏の菩提寺です。寺背後の山が。リンク:リンク:蜜蔵院。知多新四国霊場第五十二番札所。
知多四国霊場会公式サイト徳正寺。知多新四国霊場第二十四番札所。知多四国霊場会公式サイト長泉寺。
国宝・弥陀堂は修理中です。2015.11.7撮影。金蓮寺(こんれんじ)の弥陀堂は源頼朝が三河国守護の安達藤九郎盛長に命じて建立させた三河七御堂の一つと伝えられています。
御堂山・全福寺跡。鞍掛神社。豊橋市「文治4年(西暦1188年)源頼朝が上洛する途中にこの地を通り乗馬してきた馬の鞍を奉納して武運長久を祈願した」と記されています。
多米校区自治会・多米の史跡と伝承ウィキメディア・コモンズより・普門寺の本堂豊橋のもみじ寺 普門寺。
『普門寺縁起』では源頼朝が平家追討の祈祷をして、頼朝と等身大の不動明王像(現在は客殿に安置)を造ったとの記述がある。平家滅亡後、頼朝が上洛する際には普門寺に立ち寄り多くの寺領を寄進し、寺門興隆し三河七御堂の随一と言ったとの伝もある。実際に当時の文献にも鎌倉幕府から厚い保護を受けていたことを窺わせる記録もある。
源義朝:頼朝・義経公父子の史跡を訪ねて(愛知、その1)(遠江・駿河・伊豆編、その5)(相模・武蔵編、その6)豊川市財賀寺・知恵文殊まつり
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原ファイル: yositomo-yoritomo3.htm