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亀山城天守閣は寛永9年に幕命により解体されたため、 この多聞櫓が建てられたと伝えられ明治30年に改修され、 三重県下で唯一残る城郭建造物です。 |
満開の桜に浮かぶ多聞櫓、天守閣跡の高い石垣が 左の方に見える。 | ![]() |
![]() | 満開の桜の間から見る多聞櫓と石垣は広重の絵に 描かれている場所に似ている。 |
亀山宿で唯一の松並木で、坂を登りつめ 左折すると一帯は亀山城址で当初三層の天守閣が ありましたが寛永9年に解体され、白壁の門、櫓、 土塀が連なる景観が蝶々が群れ飛ぶ姿にたとえられ "粉蝶城"とも呼ばれました。 |
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![]() | 亀山城下にはいくつもの家老屋敷や直角に 曲った細い路地が今も名残をとどめています。 屋敷は現在長屋門、土蔵、母屋の一部が残り、 近世武家建築の数少ない建造物となっています。 一部病院として利用されています。内部見学は亀山市 教育委員会まで申し込んで下さい。平成10年4月5日撮影
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野村一里塚、県内東海道の12個所の一里塚で 唯一残っているもので、当初街道の両側に築かれ、 大正3年に南側は取り壊されました。このムクの巨木は 幹囲は5メートル高さ20メートルで桑名ー坂下間ただ 1ヵ所国の史跡となっています。 |
亀山宿西の端、京口御門跡の案内版、これより 東へ露心庵跡まで総延長2.5キロが亀山宿となっています。 亀山城の一部としての機能を充分備えていたとされ、崖を 登る坂道の両側にカラタチが植えられ、したから見上げると 門,番所のそびえる姿は壮麗を極めたとある。竪絵東海道の "亀山風雨雪晴"の舞台となったと記されている。 | ![]() |
![]() | 西之丸に建つ白壁造りの壮麗、広大な御殿跡、 現在は地区の集会所として利用され、庭園は広く 一般に開放されています。 |
関宿からの街道が亀山宿に入るとこのような 連子格子の建物が目立つ |
京口御門まであと僅か
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![]() | 西の丸庭園の入り口、屋敷の内部が庭園となっています。 平成10年4月5日撮影 |
次は関宿
お伊勢参りに行くのじゃ
次は庄野宿(お江戸日本橋へ)
亀山城
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