平成13年12月26日撮影。丸御殿跡から南側を見る。
名古屋城の生い立ち(市の名古屋城案内より)
名古屋城は関ケ原合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、
慶長14年(1609)江戸幕府の
東海道の要所としてまた大坂方への備えとして
清須(現清洲町)から名古屋への遷府
(世に清洲越しという)を決定し、加藤清正・
福島正則・・前田利光など北国・西国の諸大名20名に
普請(土木工事)を命じ天守閣や諸櫓の作事(建築工事)は慶長17年(1612)にほぼ完成した
代表的な平城です。その後明治維新を迎えるまで名古屋城は徳川御三家の筆頭尾張家の
居城として栄えました。
昭和20年5月名古屋空襲により大・小天守閣本丸御殿はじめ建物
の殆どを焼失しましたが幸いにも焼失を免れた三つの櫓(西北・
西南・東南)三つの門
(表ニ之門・
旧ニ之丸東ニ之門・二之丸大手ニ之門)と本丸御殿障壁画の大部分は
重要文化財として現在に伝えられています。
名古屋城本丸御殿(玄関・表書院一部公開)記念特集
名古屋城本丸御殿完成記念号
(第1部)
(第2部)
(第3部)