愛知県・38市史跡・社寺めぐりー津島市(その1)


新日光橋西詰めの説明板。 新日光橋西詰


旧日光橋の親柱と説明板。


現日光橋と土手の下になってしまった秋葉神社。かっては日光橋西詰めに立場が
あったといわれる。左は東方名古屋市方面を撮る。


津島一里塚跡:清光院境内にあり、神守一里塚の次に位置しますが佐屋街道とは
埋田の交差点付近で別れています。近年津島街道が整備され一般に県道津島線
と呼ばれ、津島の文字が使用されているようです。邸内の津島街道・一里塚跡碑
津島一里塚跡:清光院


埋田の追分付近、右:「明治天皇小休止址記念碑」と左:「津島神社一の鳥居址」
埋田交差点を南西に入った場所の小さな神社(社名不詳)の境内にあります。
小さな神社(社名不詳)


上記神社からすぐ西、津島神社と佐屋の渡しの分岐点ですが街並みの改修により
判然としません。江戸時代には茶店などがあり、松並木も続き賑わったと記され
ています。常夜灯後ろの矢印2個は津島神社第一の鳥居の跡ですが上の大部分が
伊勢湾台風で倒れたものです。 津島神社第一の鳥居の跡


左:愛宕・十王堂 右は愛宕神社。隣同士です。ここまでは佐屋街道に沿って編集したものです。


左:名鉄津島駅。右は駅近くの今市場:十王堂。十王・奪衣婆・業秤・浄玻璃の鏡・
地獄絵掛軸などが完全に残っているのはここだけです。仏像・仏画は市の文化財にな
っています(以上市案内文引用)。2回目の訪問は駅から津島神社までを右回りで歩
いて訪問します。 今市場:十王堂


教津坊。リンク:教津坊 教津坊


本住寺。


稚児門。 稚児門


六地蔵尊堂。稚児門の向かい側に建っています。灯篭型の六角地蔵堂で厨子の中には
地蔵尊像があり、厨子の外周りには六地蔵が立てられています。境内には、延享2年
(1745)奉献の石灯篭があります。この六地蔵尊は、人間に姿を変えて深夜の盗
賊を追い払ったという話が残されています。


筏場神社。説明文拡大 筏場神社


氷室作太夫家住居。 氷室作太夫家住居


浄光寺。明治天皇行在所の石碑。


瑞泉寺。 瑞泉寺


御嶽神社。左は神社前から東南、右は西南方面を撮る。 御嶽神社


濃尾大地震記念碑。 濃尾大地震記念碑

天王川公園及び船頭平閘門

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