市名・文字・バナーをクリックして下さい。2016.5.3日でほぼ完成しました。
今後は見落とした箇所と町(紺の文字)の主要な史跡・社寺めぐりをしたいと思います。
1:東海道・宮の宿から有松へたどるみち 2:木曽三川公園から犬山城へのみち 3:家康公生誕の地・岡崎を巡るみち
4:名古屋・東山の森の自然探勝のみち 5:中馬街道、足助・香嵐渓探勝のみち 6:鬼のみちと高浜の史跡を巡るみち
7:美濃路を歩く、清洲宿から起宿のみち 8:瀬戸・海上の森と窯垣の小みち 9:「花鳥風月」崋山の世界を訪ねるみち
2016.1.21日、みよし市で自転車を購入して以降、北上し北は犬山市桃太郎神社
から順に南下、大口町、東郷町、東浦町、南知多町(知多半島師崎)を経由、
伊勢湾沿いに再び北上し清須市を再度訪問して11ケ月ぶり(自転車は)12月
21日に自宅に戻りました。2017年5月29日、38市16町村すべて訪問を終えました
今後は
のコラボで公共交通不便な場所、見落とした箇所を訪ねます。
画像をクリックして下さい。
地球
のコラボにより地球をクリックで自由に操作,
愛知のてっぺん豊根村
即座に飛んで行けます。南極大陸(昭和基地)も北極のすばらしさも手に取るように
ご覧いただけます。地球が出ましたら左上の「googleマップを検索する」に住所
又は件名を日本語で入力してください。
飛島村役場(左端)。写真のように周囲は水田で、店舗も住宅もありません。北に飛島村総合体育館
その北に小・中一貫校飛島学園が併設され、公共交通は鉄道は無く、飛島村ではコミュニティバスと
して飛島公共交通バスが運行されており、蟹江町の近鉄名古屋線 近鉄蟹江駅や、名古屋市港区の名古屋
市営地下鉄名港線 名古屋港駅・築地口駅、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線 稲永駅に乗り入れている。
聞けば全地域が市街化調整区域となっています。
しかし伊勢湾岸道路、国道23号線、環状302号線、県道西尾張中央道と四方に囲まれた車の通行台数は
日本一でしょう。
飛島村役場
ウィキメディア・コモンズ経由で・名古屋港の臨海工業地帯。中央左が飛島ふ頭。
手前は弥富市の鍋田ふ頭。
ウィキメディア・コモンズ経由で・飛島ふ頭のコンテナターミナル
金城埠頭西岸壁から飛島コンテナ埠頭(飛島村、キリンの姿の鉄骨)を見る。
飛島村には三菱重工のH2Aロケットを造る名古屋航空宇宙システム製作所飛島工場のほか
トヨタ自動車、川崎重工、中部電力などの工場、施設などがあります。
関連:
H2Bロケットとプラネタリュームを見る
筏川排水機場のポケットパークに建つ「伊勢湾台風殉難之塔」(左)。右は同地内のモニュメント。
伊勢湾台風殉難之塔
梅之郷神社(上)。左は境内の排水機設置記念碑。下は村内を南北に走る国道302号線
工事中の梅之郷付近。
梅之郷神社
新政成神社。
新政成神社
本正寺。
古政神社。
古政神社
竹之郷神社。
善光寺。
善光寺/竹之郷神社
元松地蔵。
元松地蔵/長昌院/無量寺
長昌院。
長昌院境内の津金君遺愛碑。
無量寺。
H2Bロケットとプラネタリュームこのロケットがここ飛島村で造られています。
善福寺境内の「福士幸次郎先生原日本考発想之地」碑(左)。「尾張は日本のメソポタミヤであり、
木曽長良の両川はチグリス、ユウフラテスにあたる」の記念碑(右)である。
リンク:青森県立図書館
福士幸次郎先生は善福寺に2ヶ月逗留しました。
善福寺。
善福寺/宝勝寺
賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れ
また多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。
由緒記拡大
賀茂神社
賀茂神社境内の古神門。
霊泉玉ノ井清水。玉ノ井清水説明拡大
飲めますの案内で水道水以外は何十年記憶に無いが飲みました。まろやかな
後味の良い感じがしました(左)。右は鎌倉初期の歌人飛鳥井雅経の歌碑。
念敬寺と墨宇吉の像(黄色の矢印)。宇吉は尾州織物の改良を頼まれ研究努力の結果,
目を見張る艶出し技術の尾州織物を完成させた。
ウィキメディア・コモンズ経由で・紙本著色『行く春図』(左隻)川合玉堂筆 六曲屏風 重要文化財
川合玉堂
川合玉堂生誕の地、記念碑前の街道。木曽川図書館前に建っています。
川合玉堂生誕の地
剣光禅寺。尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持って
いた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。
剣光禅寺
現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。当時はすぐ
東の法蓮寺境内ではなかったかと思われます。
山内一豊生誕地の黒田城跡
右は黒田城跡、
黒田城 (尾張国)
黒田城跡説明拡大。
左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。
吉良町出身、尾ア士郎作の小説「人生劇場」の碑(左端)。梶島を見下ろす絶景の
場所(右)に建っています。作品主人公の青成飄吉が吉良から上京し早稲田大学に入
学。青春篇は吉良を舞台にしており、碑はこよなく愛した吉良の海に向かって建てら
れています。写真中は同場所に建っている尾ア士郎作詩「吉良小唄」の碑文です。
尾ア士郎作の小説「人生劇場」の碑前のポケットパーク。
尾崎士郎「人生劇場」の場所
左:尾崎士郎「人生劇場」碑前から梶島を撮る。右:吉良温泉を望む。
右写真撮影場所
「人生劇場」の碑前のポケットパークから梶島を撮る
西尾市
西尾市・社寺めぐり
幡豆海岸車窓風景
西尾市・史跡、社寺めぐり2部
西尾市・幡豆町〜
吉良町めぐり、
三吉碑。リンク:美浜町・にっぽん音吉漂流の記
で判り易く解説。
三吉頌徳碑文拡大。
良参寺。リンク:四国直伝弘法・良参寺。
山本音吉遺灰の帰郷について
良参寺。
フリー百科辞典より出稿。
鳳来寺、長篠城・設楽原古戦場 設楽が原古戦場と新城市 史跡あふれる新城市の旅(第三回目)
新城市:史跡・社寺めぐり医王寺〜満光寺 新城市:設楽が原古戦場 新城市南部:史跡社寺めぐり
上記記念碑台座裏面の由緒記。読みにくく改めてここに当サイトの判断で掲載します。
「明治天皇は明治元年東京に遷都せられ、その年9月20日萩藩立毛利敬親高知の山内。
宇和島の伊達。大洲の加藤。岡山の池田。重臣の岩倉具視。中山忠能。木戸孝充ら文武百
官三千四百余人を従えて京都御所を発輦、東京に向かわれた。近江路の大津、石部、土山、
伊勢路の関、四日市の各宿駅を経て同月25日午後二時桑名の宿駅真宗大谷派別院本統寺に
無事到着1泊された翌26日桑名の川口港から尾張藩主さん○○○の白鳥丸で水路を佐屋
の宿駅に向かわれたが佐屋川尻が浅くにわかに人夫40人?を動かして川底をさらえ御船を
進められこの地、元海西郡焼田港に御上陸になった。尾張の前藩主徳川慶勝並びに藩主義
宣も奉迎しはじめて龍顔を拝し感激にむせぶ。村人が平伏しお迎えするなかを菊花の錦旗
を先頭に・・を整え楽の音に合わせて佐屋の宿駅脇本陣に向かわれた。この地は明治天皇
が尾張路へ初めて玉足を運ばれた最初の地で当時の村人の感激をしのび由緒ある遺跡とし
後世に伝えるため同志相○○一碑を建設○○明治百年記念事業とした
昭和42年1月15日 建設委員」。
明治天皇の東京行幸。フランスの新聞雑誌(英語版)『ル・モンド・イリュストレ(フランス語版)』
(フランス語版)』1869年2月20日刊行号内の挿絵。
フリー百科事典出稿:
東海市・細井平洲誕生地
平洲文庫。
西方寺。細井家の菩提寺。
西方寺
細井平洲誕生地。
説明文拡大
細井平洲誕生地
田原市(その1) 田原市(その2) 田原市(その3) 田原市(その4)
長田屋敷跡(上、現在は梅林)。長田忠致・景致父子の屋敷跡といわれます。下は屋敷跡前の風景
(左、大御堂寺方面。右、名鉄内海線野間駅方面)。
長田氏
長田屋敷跡
長田屋敷跡から「はりつけの松」を撮る。
「はりつけ松」から大御堂寺を撮る(中)。
美浜幕府・はりつけ松拡大
はりつけ松跡地。
はりつけ松跡地
天下の奇祭・三谷祭
第1部
第2部
第4部
第5部
第6部
第7部
第8部
「永保寺庭園・無際橋」を開山堂前付近から撮る。
国宝2棟の永保寺(多治見市)を拝観する小さな旅第1部
第2部
第3部順路はこちらからです。
4,主翼の真下で食事です。
ボーイング787ドリームライナーを楽しむわくわく旅
第1部
第2部
第3部
第4部
第5部
第三回とこなめ山車まつりを楽しむわくわく旅
第1部
第2部
第3部
第4部
第5部
リンク:名古屋鉄道
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