関連リンク:「ねね」出生地、
円徳院の庭園と「ねねの道」。:
東福寺→ねねの道
北政所門前町。北政所を愛する人々が集う場所と記されています。
北政所門前町
高台寺由緒拡大。
リンク:高台寺ホームページをご覧下さい。
高台寺
高台寺境内にあります。
高台寺から「ねねの道」に下る石段。
ウィキメディア・コモンズ経由で・高台寺庭園、観月台、開山堂、霊屋(奥)
ウィキメディア・コモンズ経由で・高台寺方丈前庭、勅使門
ウィキメディア・コモンズ経由で・高台寺開山堂
ウィキメディア・コモンズ経由で高台寺霊屋(おたまや)。
クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です
ウィキメディア・コモンズ経由で・高台寺傘亭
ウィキメディア・コモンズ経由で・高台寺時雨亭
ウィキメディア・コモンズ経由で・高台寺遺芳庵
高台寺
高台寺の参観を終え、東大路通りを南へ下り東山五条交差点を過ぎ妙法院前を西に入り
方広寺に向かう。
右写真は清水寺方面を撮る。左は祇園方面を撮る。
東山五条交差点
方広寺は天台宗山門派のお寺,秀吉により建立されました。
方広寺大仏殿遺物拡大
リンク:大坂の陣:ウイキペデイア
鐘楼の方隅に置かれている破損した鐘。
方広寺鐘銘事件で、家康により、難癖、イチャモンをつけられた釣鐘です。これにより、豊臣家は
一気に大坂冬の陣、夏の陣により滅亡への道を突き進むのです。鐘に鋳込まれた銘『国家安康』
『君臣豊楽』『右僕射源朝臣家康公』が問題となった事件でした。
鐘銘文字は
リンク:大坂の陣:ウイキペデイア
参照してください。
鐘楼の天井、絵柄模様。リンク:方広寺
現在鐘突きは痛みが激しく行われていません。右は方広寺境内の大日如来・大黒天を祀るお堂。
耳塚。豊国神社前にあります。
国宝の唐門は絢爛豪華といったひと際目立つ存在です。上記方広寺の隣にあります。
豊国神社
豊国神社。
豊国神社説明文拡大
。
ウィキメディア・コモンズ経由で・阿弥陀ヶ峰の豊国廟
豊国廟
豊臣秀吉公の眠る豊国廟に参拝
豊国廟。この石段(563段)を登り詰めた阿弥陀ヶ峰に建つているのが上記の
阿弥陀ヶ峰の豊国廟。
阿弥陀ヶ峰城 (京都市)
豊国廟鳥居と拝殿(上)。
新日吉神宮(いまひえじんぐう)。
新日吉神宮
智積院。
智積院参詣から京都駅まで
智積院
智積院境内の玄宥僧正の座像。
羅城門。京都駅正面前。
東福寺→ねねの道 銀閣寺 永観堂(2010版) 保津峡トロッコ電車
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リンク:京都慕情
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リンク:女ひとり-京都慕情-京のにわか雨-祇園小唄-千年の古都 .
京都(その1)|京都(その2)
京都(その3山科地区)
京都(その4聚楽第跡特集)
京都(その5東福寺紅葉特集)
京都(その6、建仁寺から豊国神社まで第1部)
京都(その7、建仁寺から豊国神社まで第2部)
東海道五十三次、名古屋で生まれた秀吉・ねねを偲ぶ旅
東海道53次日本橋の巻 東海道53次品川宿の巻 東海道53次神奈川県の巻
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