のコラボにより江戸日本橋までネットの旅を
本山宿(長野県)から続けてまいりますので
ご理解の上ご覧下さいますようお願いいたします。
ウィキメディア・コモンズ経由で・渋沢栄一の生家
ウィキメディア・コモンズ経由で・Portrait of Shibusawa Eiichi (渋沢栄一, 1840 ? 1931)
中山道・深谷宿
岡崎公園内に建つ家康公銅像と遺言。
牛頭観音。中山道唯一。約20年間の旅路で牛頭観音に出会ったのは初めてです。
木曽の桟(かけはし)は川を跨ぐ赤い鉄橋でなく、崖渕の絶壁の岩に沿って作られた木の桟橋でした(左写真)。
木曽路は殆どが尾張藩の領有地であったため至るところで活躍、施政(白木改番所など)を行ってい
ました。
木曽の桟
歌川広重 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
祐泉寺前の堤防から対岸の「大井戸の渡し」を見る。可児市側は船着場付近が林で見れませんが
太田側でははっきり見ることが出来ます(下)。写真上は上段の広重画と良く似ています。
祐泉寺滞在中に描いたものと推察できます。
八幡神社東の細い道を約200mで木曾川堤防に突き当たります。ここに建つ
「大井戸の渡し場跡」の標識です。江戸時代はじめまで使用され、その後流れ
が変わったため上流の太田の渡しに変わりました。
大井戸の渡し場跡
渡船場へ向かう石畳道路。ブルーの橋は太田橋。
渡船場
渡船場から見る対岸と下流の木曽川風景。江戸時代後期まで使用されたという。
「大井戸の渡し」から約7〜8キロ下流の犬山橋左岸、「内田の渡し場跡」説明板の図絵。
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中山道大田宿・岩屋観音堂付近の木曽川風景。
天龍寺。
天龍寺山門と境内の明智氏歴代之墓所。
明智城大手門。
織田信長重臣・明智光秀の誕生地を訪ねる小さな旅。
第1部
第2部
第3部
ウィキメディア・コモンズより・旧碓氷峠(長野県北佐久郡軽井沢町大字峠町)
ウィキメディア・コモンズ経由で旧信越本線の碓氷第3橋梁。
ここを(松井田宿)をクリックして下さい。
京都
馬籠宿
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中山道69次・木曽路の旅(11宿場)画像全体ををクリックして下さい。
中山道69次の旅は草津宿〜京都から始まり木曾11宿の贄川宿で打ち止めていましたが
今回
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千旦林:県道と合流点にある道標など(左)。旧中山道は右道路、左の細い道へ入ります。
千旦林:県道合流点。
ウィキメディア・コモンズより・山梨リニア実験線で試験中のL0系7両編成。
2014年8月8日10:06、笛吹市御坂町竹居にて撮影。
甲州街道44宿・下諏訪宿から始まり長野県〜山梨県〜神奈川県〜江戸・日本橋まで
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まいりますのでご理解の上ご覧下さいますようお願いいたします。
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