賀茂神社。中世は境内の前を鎌倉街道が通っていたことから、文人墨客など多く訪れ
また多くの作品の中に登場しています。左は境内の雛人形の祭壇を飾る建物。
由緒記拡大
賀茂神社
賀茂神社境内の古神門。
霊泉玉ノ井清水。玉ノ井清水説明拡大
飲めますの案内で水道水以外は何十年記憶に無いが飲みました。まろやかな
後味の良い感じがしました(左)。右は鎌倉初期の歌人飛鳥井雅経の歌碑。
念敬寺と墨宇吉の像(黄色の矢印)。宇吉は尾州織物の改良を頼まれ研究努力の結果,
目を見張る艶出し技術の尾州織物を完成させた。
ウィキメディア・コモンズ経由で・紙本著色『行く春図』(左隻)川合玉堂筆 六曲屏風 重要文化財
川合玉堂
川合玉堂生誕の地、記念碑前の街道。木曽川図書館前に建っています。
川合玉堂生誕の地
剣光禅寺。尾張六地蔵第一番の霊場で頼朝が上洛の折、地蔵菩薩を拝し持って
いた宝剣を奉納し、田畑を寄進したという。
剣光禅寺
現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。当時はすぐ
東の法蓮寺境内ではなかったかと思われます。
山内一豊生誕地の黒田城跡
右は黒田城跡、
黒田城 (尾張国)
黒田城跡説明拡大。
左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。
JR木曽川駅南端の児童公園にある正岡子規見染塚。関連:
今渡の渡し場跡
正岡子規見染塚
薬師寺。
尾張猿田彦神社。
リンク:尾張猿田彦神社
善福寺。
善福寺/宝勝寺
善福寺境内の「福士幸次郎先生原日本考発想之地」碑(左)。「尾張は日本のメソポタミヤであり、
木曽長良の両川はチグリス、ユウフラテスにあたる」の記念碑(右)である。
リンク:青森県立図書館
福士幸次郎先生は善福寺に2ヶ月逗留しました。
宝勝寺。臨済宗妙心寺派。
広大な境内を誇る妙興寺の総門。名鉄線の駅名にもなっています。
妙興寺
妙興寺の総門をくぐると勅使門。勅使門説明拡大
左:妙興寺仏殿。右山門。妙興寺総門説明拡大
妙興寺境内にあります。
妙興寺境内にあります。
妙興寺境内にあります。宝匡印塔。境内散策は大自然の中のようです。
妙興寺から西へ約600m、ゴルフセンターすぐ西にあります。
笠懸の松
牛野神明社。左写真の細い道が鎌倉街道といわれます。
牛野神明社
牛野神明社と境内の照手姫袖掛け松。
河曲橋。
現大江川に架けた鎌倉街道の橋であった。源平盛衰記に源行家が下津に陣し此処で
決戦したと伝え、尾張藩主徳川義直がこの橋を架けたという。
河曲橋
鎌倉街道資料を参考にし跡形ない道を方向付けして東へ進む。jr線をくぐりすぐ右手の
油田遺跡(右写真)です。
降臨伝承地
更に東へ行くと県道沿いに赤池古墳(左)がある。
赤池古墳
赤池古墳から更に東へ約500m、八剣社の森が目に入る、鳥居すぐ横に石地蔵が3体向き合っている(黄色矢印)
八剣社から南下し、赤池古墳から来る道と合流する地点(右写真,黄色矢印)に
建っています。
赤池一里塚址
赤池一里塚址の碑文を拡大したものです。
油田遺跡。二回目の訪問です。
油田遺跡之碑拡大
尾張一宮市(その1) (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) (その7)
リンク:名古屋鉄道
名鉄1700-2300系前面展望 特急岐阜行中部国際空港発。
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