愛知・38市史跡・社寺めぐりー豊川市(その4・御油宿)愛知・38市史跡・社寺めぐりー豊川市をご訪問下さいまして有難うございます。
御油宿問屋場跡に建つ案内版高橋を渡ると右道路脇にあり、見過しやすい。茶屋本陣跡。
山本太鼓店の横にある伊奈一里塚跡。菟足神社。菟足神社貝塚。国府の町に入るとまもなく薬師堂がある。
大社神社。御油一里塚跡。姫街道と交差する追分にあった常夜灯は工事中と地元の方は話してくれました。
大恩寺。大恩寺境内の国指定・重要文化財の念仏堂跡。天文22年(1553年)の建立で、国の重要文化財に指定されていましたが、1994年に焼失。
大恩寺境内のヒメハルゼミ生息地の説明板(右)。左は境内の「シラカシ」の木で綺麗な姿で迎えてくれます。
大恩寺向かい側の御津神社(上右)。上左は境内の天満社。萩原神社。広幡神社。西方古塁跡。
旧東海道の御油橋と音羽川の桜、2011.4.11撮影若宮八幡神社前から御油橋(江戸方)を見る。
御油橋から程なく高札場跡があり、向かい側に「ベルツ花夫人ゆかりの地」がある。ベルツ花夫人ゆかりの地。
高札場跡を右折するとまもなく右側にある。本陣跡。「イチビキ」会社の向かい側にあります。
東林寺。御油の松並木。12年前に訪れた時と比べて随分変わった松並木になり、鬱蒼とした竹林が無くなっている。
東海道五十三次、御油宿(その1、平成10年版)御油の松並木,約600メートル続いているこの松並木は東海道を旅する人々たちに、夏は緑の木陰で暑い日差しを遮り、冬には寒い風雪から身を守り、時には心地よい松風の音を聞きながらという、配慮から当初650本を植えられたものでした。植え付けられた松の樹にに対しては幕府の管理は厳重を極め一本たりともゆるがせには出来ませんでした。周辺の村々に義務付けされていました。このように幕府の手厚い保護政策と地元の熱意により、江戸時代の松並木の面影を残すのは全国で御油が唯一のもので、昭和19年に国の天然記念物に指定され、現在では100年以上の古木がほぼ90本と、補植松がほぼ250本、総数340本余の松並木となっています。その後1752年1883年には大々的に補植、土手の修理などがなされたという記録が残っています。(以上松並木資料館の案内書から)この資料館の玄関脇(写真正面、かげで見にくい)
には当初に植えられた、樹齢ほぼ380年の松の根っこと幹が展示されています。内部には御油、赤坂、国府地区の復元模型など当時の掛け軸、文書、火事場装束や旅装束、消火用ポンプ、医者の往診に使った駕籠などが展示されています。
御油の町並みには写真のような史跡を示す木柱が建てられています。上左から本陣跡、人馬継所跡、下左からベルツ博士の妻ハナの実家跡、高札場跡となっています。ベルツ博士は日本の医学に大きな功績を残した方ですが日本人妻のハナさんの祖父はここ御油に住み、その史跡である。
松並木の脇にこの掲示版がある。弥次喜多道中の二人がこの松並木で狐に化かされた物語が記されています。弥次さんは宿場の女に留められ、この先の松並木には悪いキツネが化かすからここに泊まれと言われたが、先に立った喜多八を追ってここに差し掛かると松の根っこに喜多八が弥次さんを待っていました。弥次さんはキツネが喜多八に化けていると思い、喜多八を取り押さえ手ぬぐいで縛り赤坂まで連れて行ったとのこと。御油の松並木は松並の後ろの竹薮が鬱蒼と茂り、夜ともなると一人歩きは勇気のいるもので、この松並木は度胸試しにもよく利用されていたようです。
以上平成10年5月31日撮影御油の町並みと松並木街道。
リンク:




















執筆推定: 1998-05-31 / 原ファイル: toyokawasi4.htm