中山道・上松宿(その1)ウィキメディア・コモンズ経由で・木曾街道六拾九次 上松(歌川広重画)小野の滝を描いたものと云われます。
上松宿は中平地区にある沓掛馬頭観音堂から順に掲載します。沓掛一里塚。上松で片側だけでも原型が残っているのはここだけで貴重な存在と記されています。
沓掛一里塚からは19号線と合流し、車が多く横断が思うままにならず約700~800mで木曽路の名所・木曽の桟(かけはし)に到着です。右は木曽川に架かる赤い橋で木曽の桟(かけはし)ではありません。
木曽の桟(かけはし)は川を渡る赤い鉄橋でなく、崖渕の絶壁の岩に沿って作られた木の桟橋でした(左写真)。
木曽路は殆どが尾張藩の領有地であったため至るところで活躍、施政(白木改番所など)を行っていました。
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠が無くば良い」と言われた中山道三大難所でした。長野県史跡で付近には数多くの石碑、句碑、案内標識などが見られます。左端のの句碑四首、「かけはしやあぶない処に山つつじ」「かけはしや水へとどかず五月雨」「むかしたれ雲のゆききのあとつけて」「わたしそめけん木曽の桟」。
史跡付近の芭蕉句碑「桟や命をからむ蔦かつら」(中)。左は馬頭観音碑。右は木曾川右岸道路から見下ろす「木曽の桟」付近の景観です。中下は木曽の桟(国道19号線を赤い橋上から撮った)。
木曽観光連盟発行「中山道を歩く」小冊子に上松宿まで約4キロは19号線の車の往来激しく歩道も無く、この右岸道路(歩道はありませんが)を通行して下さいとありますので、木曽駒ケ岳67年ぶりの身近な山容を見(左写真奥の山)、木曽の激流の音を堪能して1.5時間かけて鬼渕鉄橋まで来ました。この間一人の出会いもありませんでしたし、車も3台の通過、風景も独り占めの素晴らしい一時でした。
「木曽の桟」から鬼渕鉄橋まで右写真の橋が使用されてない木曽森林鉄道橋です。この近くには伊勢神宮御神木伐採地があります。
木曽の緑の山中を走る! 赤沢森林鉄道ここ十王橋が上松宿北の入り口と記されてます。高札場もここにあると書かれていますがそれらしき標識、案内も見当たりませんでした。
中山道上松宿入り口と書かれた標識(左端)。右は地蔵尊と馬頭観音像。何れも同敷地内にあります。
上松宿へ入りまもなく左手に八幡神社があります。玉林院の山門と地蔵尊。木曽氏館跡。
脇本陣を勤められた家(左)と向かいの本陣を勤められた家(右)。本陣跡横の道祖神と中山道の町並み。
上松一里塚跡。桝形道路角地にあります。本町商店街の街並み。寺坂と上松駅(右)。宿場の中心街を抜けて寺坂を上ると交差点があり角地の芝生の中に斉藤茂吉の低い歌碑が立っています(左)。更に歩いて約100m、上松小学校の校門横に藤村の文学碑があります(右)。
尾張藩直轄:尾張藩材木役所跡。諏訪神社(右)と上松小学校前の旧中山道。ここから寝覚ノ床まで1.4キロの標識が立っていますが日没のため急いで上松駅へ帰る。17時8分の電車に乗るがもう駅員さんがいない何か寂しい感じです。朝9時ころ福島関所をスタートして約8時間、距離約10キロ、3万1000歩、タクシーに乗ったり、同じ場所を行ったり来たり気ままな一人旅は終わってしまえば達成感で楽しいものとなります。
次の週に電車から撮影した「寝覚めの床」(右)とやや下流の写真(左)。you tubeリンク:木曽の緑の山中を走る! 赤沢森林鉄道「木曽の桟」から鬼渕鉄橋までへ行くへ行く
これより中仙道(岐阜県内)中仙道(関が原宿その1)中山道・赤坂宿(その1)
これより中山道(木曽路:11宿)
中山道・69次
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原ファイル: agematu-syuku1.htm