秀吉公尾張中村から京都~大阪城まで(その1)「秀吉公尾張中村から京都~大阪城まで」をご訪問下さいまして有難うございます。
ウィキメディア・コモンズ経由で・豊臣秀吉肖像、一部(高台寺所蔵)豊国神社拝殿前で撮影。
日之宮神社。中村区日吉公園の一角にあります。日之宮神社社殿の東隣に建っています。日吉丸(後の豊臣秀吉)の生母祈願の跡の記念碑。
左の石碑は地元の古老によると生母は日吉丸の素行を懸念して祈願したという。豊臣秀吉母宅址駅から南へ約400メートルのところにあります。道角のこじんまりした空き地となっています。御器所3丁目にありますが駅はこの荒畑が便利です秀吉関連、秀吉の誕生地秀吉関連、大政所が男子が授かるよう日参した日の宮神社下記の銅像から東へ100メートルのところに秀吉誕生の地常泉寺があります。「豊太閤御誕地」の石碑(左)と秀吉産湯の井戸(右)があります。なお誕生地については現在の中村中町(南へ約800メートル)とする説があります。
豊国神社に隣接する豊臣秀吉誕生地。リンク:名古屋市秀吉清正記念館 特別展示室中村公園と園内の日吉丸と仲間たちの銅像。
加藤清正誕生地。秀吉誕生地から約150m、東南です。
上記妙行寺の西北約80メートルの公園内にあり、更に80メートル西北へ行くと秀吉の生誕地があり、常泉寺の隣に甥のがおり4人が約200メートル内に生まれた。
信長、秀吉が仲良く遊んだ史跡モニュメント。名古屋生まれのが大将となりすぐ近くの、2キロ上流比良の、荒子の、1キロ強南の中村のなど少年時代のガキ大将の群れがこの付近を暴れまわり、闘争心を学びを境に一大奮起し、全国へ出世して行った姿は400年経ったいまも何か心がわくわくしてきます。そして彼らを支えた、「まつ」2キロ圏内(七宝村) 吉乃(信長の側室、信忠・信雄・徳姫(見星院)の母)も市郊外で生まれた。更にまつの同郷には蜂須賀小六福島正則も生まれ戦国武将が輩出しました。出世街道美濃路に誇りあれ。
2017,1,3日再度訪問しましたら撤去、消滅していました。
信長、秀吉が仲良く遊んだ現在の枇杷島河原。出世街道:美濃路に誇りあれ。
美濃路が西区内へ入り東(名古屋城)へ向かいます。2019.10.26日取材。坂を下り右折する角に美濃路の立派な新しいモニュメントが完成しました。
ウィキメディア・コモンズ経由で・『絹本着色高台院像』(高台寺所蔵)塩竈神社。鳥居左にあるお釜モニュメント(合成写真)が印象的です。
塩竈神社境内にあります。境内にはこのほか痔病の治癒に霊験著しい無三殿主大神を斎祀する無三殿社が祭られています。
金刀比羅社および西宮神社。慶長15年(1610年)名古屋城築城の折の石切場所として、境内には、石切場跡の石碑が建てられている(左)。築城の大石はすべて笈瀬川(往昔はお伊勢川:現中川運河)を上りここまで船で運ばれ陸揚げ、所定の大きさに切られ、陸路城まで運んだと記されています。
関連:中川運河(愛知県図書館蔵書引用)関連:。歴史書によればねねの出生地は尾張の国清洲の朝日村と書かれたものが多い。そこで朝日村の厳島神社を尋ねた。由緒によれば2000年前の石器、弥生時代の遺品が発掘された(村全体の7割が発掘対象といわれる、愛知県史跡、貝殻山貝塚公園)の近くにあります。犬と散歩の古老にねねの生まれを尋ねたが知らないという。家は代代信長の小姓の子孫で,見ず知らずの私に後で代代伝わる仏壇を見てくれという。後日姓だけ聞いていたので近くのおばさんに尋ねたらこの辺は皆猪子の姓ばかりで名前を聞かなければ判らないという。折りをみてもう一度行きたい。愛知県図書館蔵書「尾張史跡」をコピー拡大したものです。
10年ぶりやっと確認できました。清洲山王社の日吉神社(清洲城南約700メートル)の案内によれば秀吉公は出生不明とし、清洲町朝日在住の母が当社祈願で授けられた神の子であり幼名を日吉丸と名付けた。当神社の神の使い日吉猿に似ていたとも伝えられています。秀吉夫人ねねも深く当神社を崇敬され、三十六歌仙額、垣根、神宮寺の薬師堂などの寄進をされたとあります。リンク:日吉神社境内にあります。
日吉神社にある古い西春日井郡伝説集には写真のような記述がありました。左上:「ねねの水」と井戸。右上は公園入り口付近。下2枚は碑文と裏面の説明書。
史跡浅野家屋敷跡は現在浅野公園(愛知県一宮市南部)となっています。北政所ねねはここ浅野長勝家に養女として預けられ、後に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に嫁ぐ。最寄りの上小田井駅から北へ約12キロ、電車の便はJR一宮駅から東へ約3キロ。親しかったおまつはこちらへ秀吉の母(なか)大政所の居宅跡浅野長勝屋敷跡(左)。の屋敷跡と伝えられ、浅野長政は長勝の婿養子、豊臣秀吉の妻ねねも長勝の養女です。右は屋敷内角にある石碑(左写真黄色の矢印)。
関連リンク:東海道五十三次、名古屋で生まれた秀吉・ねねを偲ぶ旅
霊松寺。このお寺の門前にはの石碑(中)が立っています。安井重継の子として生まれた。
関連:。リンク:リンク:
太閤・秀吉公 尾張・美濃史跡めぐり(その1)太閤・秀吉公 尾張・美濃史跡めぐり(その2)(その7、関が原合戦特集)(その8、天王山山崎合戦特集)(その9、天王山山崎合戦⇒淀城跡⇒伏見・指月城跡まで)(その10、京都市内御土居から妙顕寺城跡まで)
|京都(その3山科地区)京都(その4聚楽第跡特集)京都(その5東福寺紅葉特集)京都(その6、建仁寺から豊国神社まで第1部)京都(その7、建仁寺から豊国神社まで第2部)東海道五十三次、名古屋で生まれた秀吉・ねねを偲ぶ旅(豊国廟まで)中村公園駅(太閤まつり第1部)中(太閤まつり第5部)




















原ファイル: hideyosi-nagoya1.htm