秀吉公尾張中村から京都~大阪城まで(その4)

秀吉公尾張中村から京都~大阪城まで(その4)上記月見・宮大杉と隣り合っています。

国史跡:関ヶ原合戦戦死者8千余の首級を葬った塚である。千手観音と馬頭観音が祀られています。

関ケ原古戦場跡・両陣営の配置図。石田三成笹尾山陣地跡。倉科祖霊社。上記八幡神社から北へ約4~5分で国史跡・東首塚に来ます。

左端の赤い建物(供養堂)は戦災で消滅したから戦災前の昭和17年に移転されたもので幸いこの建物だけ戦災を免れた。

六部地蔵から少し東へ行くと北側にあります。16世紀の末には織田信長の腹心、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城としたことでも知られる。写真右はjr彦根駅から見る。左は佐和山城跡から彦根市街を望む。標高232.9m。

安土町の町中から見る安土城址と城址の石塁。「本能寺の変」後、秀吉により庇護されましたがまもなく天主閣は消失し,廃城となりました。

3度目の訪問で確認しました。左写真歩道橋階段下。大津城縄張推定復元図拡大リンク:ウイキペデイア太閤・秀吉公 尾張・美濃史跡めぐり(その1)太閤・秀吉公 尾張・美濃史跡めぐり(その2)(その7、関が原合戦特集)(その8、天王山山崎合戦特集)(その9、天王山山崎合戦⇒淀城跡⇒伏見・指月城跡まで)(その10、京都市内御土居から妙顕寺城跡まで)中村公園駅(太閤まつり第1部)中村公園駅(太閤まつり第2部)中村公園駅(太閤まつり第3部)中村公園駅(太閤まつり第4部)中村公園駅(太閤まつり第5部)中村公園駅(太閤まつり第6部)

国史跡:関ヶ原合戦戦死者8千余の首級を葬った塚である。千手観音と馬頭観音が 祀られています。
国史跡:関ヶ原合戦戦死者8千余の首級を葬った塚である。千手観音と馬頭観音が 祀られています。
関ケ原古戦場跡・両陣営の配置図。
関ケ原古戦場跡・両陣営の配置図。
石田三成笹尾山陣地跡。
石田三成笹尾山陣地跡。
倉科祖霊社。
倉科祖霊社。
上記八幡神社から北へ約4~5分で国史跡・東首塚に来ます。 東首塚 左端の赤い建物(供養堂)は戦災で消滅した永平寺名古屋別院から戦災前の 昭和17年に移転されたもので幸いこの建物だけ戦災を免れた。
上記八幡神社から北へ約4~5分で国史跡・東首塚に来ます。 東首塚 左端の赤い建物(供養堂)は戦災で消滅した永平寺名古屋別院から戦災前の 昭和17年に移転されたもので幸いこの建物だけ戦災を免れた。
上記八幡神社から北へ約4~5分で国史跡・東首塚に来ます。 東首塚 左端の赤い建物(供養堂)は戦災で消滅した永平寺名古屋別院から戦災前の 昭和17年に移転されたもので幸いこの建物だけ戦災を免れた。
上記八幡神社から北へ約4~5分で国史跡・東首塚に来ます。 東首塚 左端の赤い建物(供養堂)は戦災で消滅した永平寺名古屋別院から戦災前の 昭和17年に移転されたもので幸いこの建物だけ戦災を免れた。
六部地蔵から少し東へ行くと北側にあります。
六部地蔵から少し東へ行くと北側にあります。
16世紀の末には織田信長の腹心丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とした ことでも知られる。写真右はjr彦根駅から見る佐和山城跡。左は佐和山城跡から 彦根市街を望む。標高232.9m。
16世紀の末には織田信長の腹心丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とした ことでも知られる。写真右はjr彦根駅から見る佐和山城跡。左は佐和山城跡から 彦根市街を望む。標高232.9m。
安土町の町中から見る安土城址と城址の石塁
安土町の町中から見る安土城址と城址の石塁
3度目の訪問で確認しました。左写真歩道橋階段下。大津城縄張推定復元図拡大 大津城跡 リンク:ウイキペデイア 大津城の戦い
3度目の訪問で確認しました。左写真歩道橋階段下。大津城縄張推定復元図拡大 大津城跡 リンク:ウイキペデイア 大津城の戦い

原ファイル: hideyosi-nagoya4.htm