中山道・馬籠宿(その1)中山道・馬籠宿(その1)。大井橋で撮影したものです。グーグルマップ:馬籠峠頂上馬籠峠頂上の案内掲示板。外人観光客が多いためでしょう道中案内は英文併記となっています。
馬籠峠頂上には多くの標識、案内板が立っています。頂上下には真新しい熊除けの鐘(右端)が気にかかります。どうか熊さん出て来ない様、力いっぱい鳴らして坂を下って行きます。
峠の茶店はウイークデイーでしょうか閉まっていました。茶屋の横には正岡子規の句碑馬籠峠「白雲や青葉若葉の三十里」が花を添えて呉れます(左から2枚目)。右2枚は石に彫られた「右は中山道」の文字と手と指で案内する方向指示通り黄色矢印の坂を下りて男滝・女滝へ向かいます。その後2013.10.21日再度峠(車で)を通りましたが、茶店も自販機も閉鎖されていました。
峠を通る県道から右へ分かれて緩やかな坂を下るとこの熊野神社前にきます。峠を通る県道から右へ分かれ地点熊野神社前(左)を過ぎ、やがて江戸時代末期の面影を強く残す峠の集落(右)に入ります。
その間に天皇小休止所跡の碑(中)が立っています(中)。またこの集落付近に馬籠一里塚跡があるはずですがどうやら見落としたかな。その後2013.10.21日再度訪問し、一里塚跡の近くの人に尋ねたら、場所には何も無いと言われ現場にはそれらしき標識はありませんでした峠の集落の中ほどに石碑、標識がたっています。左端は「峠の御頭頌徳碑」で安政3年峠集落の牛方(牛を使って荷物を運ぶ人)が中津川の問屋と運賃の配分を巡って争い牛方が勝利し牛方頭の今井を讃えた碑で「夜明け前」の小説にも登場する話です。「中山道を歩く」案内書引用。
峠の集落の南はずれにあります。標識の地点に建つ食事処で峠越えする人達のオアシスです。右端は石の中山道道標。
梨子ノ木坂を下りてくると岩田沢川の水車小屋が建つ水車塚があります。この坂の入り口にも熊除けの鐘(右)がありました。石碑は右が水車塚、左は中山道と刻まれています。
水車塚付近の風景。峠の集落・水車塚説明文県道7号線を横断して再び熊除けの鐘を力いっぱい鳴らして緩やかな石段を登ります(右端)。
力いっぱい鳴らすだけだはなく足にはタンバリンを縛り、ホイッスルをぶら下げる奇妙な旅姿でございます。
上陣場(かみじんば)。天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いで、徳川軍配下の菅沼、保科の軍が陣をとった場所として知られます。やっとこのルート絶景ポイントの馬籠上陣場に到着です。馬籠上陣場には幾つもの石碑や案内板が立っています。
馬籠上陣場からは恵那山の雄大な山容が手にとる様な風景ですが今日は雲がかかりぼんやりとしか見えませんでした(右2枚)。
男滝・女滝は吉川英治著「宮本武蔵」の舞台
妻籠宿から馬籠宿を歩く
へ行くへ行くこれより中仙道(岐阜県内)中仙道(関が原宿その1)中山道・赤坂宿(その1)
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入されたこれより中山道(木曽路:11宿)
中山道・69次
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