中山道・馬籠宿(その2)

中山道・馬籠宿(その2)

中山道・馬籠宿(その2)ウィキメディア・コモンズ経由で・渓斎英泉「木曽街道六十九次・馬籠」馬籠宿・高札場。いよいよ馬籠宿の中心部へ入ってきました。高札は忠実に復元され内容は正徳元年(1711)の記録のものであるといわれます。

馬籠宿・脇本陣跡。馬籠宿は妻籠宿と違い急な斜面に一軒ごとに石垣を積み平地を造成して建てられているので町並みの風景は独特の宿場雰囲気を醸しています。これぞ木曽路の宿場町といった感があります。

町並みの風景2町並みの風景3。山口誓子の「街道の 坂に熟れ柿 灯を点す」(右)。

左は島崎藤村宅の隣でもありゆかりの深い大黒屋。藤村記念館は島崎藤村宅でもあり馬籠宿・本陣も勤められました。晩年は「静の草屋」と呼ばれたで71歳の生涯を終えられました。

藤村記念館は馬籠宿・本陣跡でもあリました。左は藤村記念館前の観光案内所です。町並みの風景4。江戸時代から伝わる防火用水具置き場(中)。民芸品展示売り場(左)。

文化庁「登録有形文化財」の清水屋史料館。馬籠宿を代表する南入り口の車屋坂。右は坂の途中左折する右手にある阿弥陀堂。

馬籠宿の南端の車屋坂に掲げられた説明板。馬籠宿を代表する南入り口の車屋坂と水車。車屋坂は典型的な桝形道路で左右、上下という二段構えになったもので妻籠宿にも見られます。

左は江戸時代から伝わる防火用水具でテレビの時代劇によく出てきます。右は旧中山道、馬籠宿の南入り口風景。

県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物店など1。観光バスなど駐車場があり休日には大変な賑わいとなります。旧中山道は標識に従い新茶屋(県境)から落合宿を経て京都へ繋がります。

県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物など2馬籠宿の南端からしばらく行くと丸山坂にかかります。ここが馬籠城跡です(右側の森)。

正岡子規の句碑。「桑の実の木曽路出ずれば穂麦かな」。山の中の木曽路から眼下に広がる美濃路の平野を眺めて詠まれたのでしょうか。

落合宿,眼下に広がる美濃路の平野芭蕉句碑(右端)。「送られつ送りつ果ては木曽の穐(あき)」。正岡子規の句碑の近くで国境と平野が一望できる景色の良いこの場所で詠われた。常夜灯を左(中)に見ながら(左端)進むと新茶屋の国境(県境)に着きます。

新茶屋の国境(県境)付近の街道。>信濃と美濃の国境に立つ石碑(左)で「是より北木曽路」の碑文(右)は地元の要請によって島崎藤村が揮毫したものです。ここから十曲峠を下りながら岐阜県・落合宿へ向かいます。

関連:贄川宿・木曽路「是より南 木曽路」北の入り口。正岡子規の句碑近く、国境と美濃路の平野が一望できる景色の良い眺望。

ウィキメディア・コモンズ経由で・東山古道の神坂峠 (岐阜県中津川市阿木)ウィキメディア・コモンズ経由で・神坂峠 (長野県阿智村)ウィキメディア・コモンズ経由・神坂峠 (長野県阿智村)ウィキメディア・コモンズ経由で・神坂峠 (岐阜県中津川市阿木)ウィキメディア・コモンズ経由で・神坂峠 (長野県阿智村)ウィキメディア・コモンズ経由で・神坂峠 (長野県阿智村)神坂峠祭祀遺跡。

旅のまとめ歩行区間=三留野宿→妻籠宿→馬籠宿 約14キロ。約5万歩(2日間)天候=一日目:曇り(場所によりこぬか雨)。二日目:晴れと薄曇り熊除けの鐘設置=6~7箇所。

宿場外で出会った人=三留野宿→妻籠宿で外人2人。妻籠宿→馬籠宿=約30人(内12~13人は外人)出会った動物=犬のみ、2回吠えられた。また別の場所では僕は吠えられなかったが行き交った人には激しく吠えていた。何でかな?

場所を訪ねた回数=4~5回、完璧なまでに道路標識が立っていて山道で迷いやすい道でも心配なく歩けました。全国有数の素晴らしい歴史と風景に彩られた観光ルートだけに地元皆さんのご活躍を祈ります。熊野古道の例があります。ただ残念なのは下り谷及び馬籠一里塚跡が確認出来なかったことです。

「姉さんに 一人で来るもんじゃないと 鳥居峠」思い出の一句です。交通手段=9月7日:名古屋7時00分発特急しなの1号→南木曽8:00分着バス発車までの2時間内で桃介橋を渡り、記念館は見れますが見学は早朝で不可。

駅前バス10:05分発馬籠行きで馬籠峠手前の男だる滝バス停で下車、すぐ急な階段を下りると滝の下に入れます。ここから妻籠宿まで約3キロの行程を歩く。妻籠宿からタイミングよく南木曽駅行きバス(この間約4キロ)が来た。およそバスは2~3時間に1本位で不便です。タクシーですと駅まで1350円くらいです。

交通手段=9月13日:バス発車までの2時間内で前回残した三留野宿後半から妻籠宿まで歩き始めたが予定オーバーで10:05分発馬籠行きのバスに乗れずやむなくタクシーで1石栃口まで(1550円)行き馬籠峠を越え馬籠宿まで歩く。馬籠宿から中津川駅まで別会社のバスで帰る予定でいたら5分遅れで15時30分発に間に合わず約1時間半待って中津川駅行きに乗る。バス代540円、タクシーは約3250円、3人で行けば1000円ちょっと、こちらお奨めです。

へ行くへ行くこれより中仙道(岐阜県内)中仙道(関が原宿その1)中山道・赤坂宿(その1)

かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入されたこれより中山道(木曽路:11宿)

中山道・69次

ハイビジョン動画館木曽路をテーマにした歌謡曲をリンクしました。水田竜子 ☆木曽川みれんビクター少年民謡会 木曽節木曽の翌檜. 長山洋子木曽恋がらす_3 丘みどり |

葛城ユキさん: 木曽は山の中木曾の恋歌/ダ・カーポ中山七里 milkye326木曾川しぐれ:Cover:山口えい子藤あや子「木曽の恋唄」

木曽恋がらす 三橋美智也木曽節やくざ/三橋美智也峠越え 福田こうへい新曲 第2弾シングル -五木ひろし-長良川艶歌伊那の勘太郎 島津亜矢三笠優子「木曾恋い鴉」旅姿三人男  天童よしみ亜矢の三度笠ー島津亜矢橋幸夫 – 木曽ぶし三度笠中仙道 (カラオケ) 鳥羽一郎沓掛時次郎 橋幸夫(Remake)島津亜矢★☆演歌一本勝負 全画面でどーぞ木曽路の旅(11宿場)に推奨する演歌波止場しぐれ・石川さゆり小豆島の一泊旅行で観光船が土庄港へ入港すると港全体に響き渡る「波止場しぐれ」に感動されました。

馬籠宿・高札場。いよいよ馬籠宿の中心部へ入ってきました。高札は忠実に復元され 内容は正徳元年(1711)の記録のものであるといわれます。
馬籠宿・高札場。いよいよ馬籠宿の中心部へ入ってきました。高札は忠実に復元され 内容は正徳元年(1711)の記録のものであるといわれます。
馬籠宿・脇本陣跡。
馬籠宿・脇本陣跡。
馬籠宿は妻籠宿と違い急な斜面に一軒ごとに石垣を積み平地を造成して建てられて いるので町並みの風景は独特の宿場雰囲気を醸しています。これぞ木曽路の宿場町 といった感があります。
馬籠宿は妻籠宿と違い急な斜面に一軒ごとに石垣を積み平地を造成して建てられて いるので町並みの風景は独特の宿場雰囲気を醸しています。これぞ木曽路の宿場町 といった感があります。
町並みの風景2
町並みの風景2
町並みの風景3。山口誓子の「街道の 坂に熟れ柿 灯を点す」(右)。 左は島崎藤村宅の隣でもありゆかりの深い大黒屋。
町並みの風景3。山口誓子の「街道の 坂に熟れ柿 灯を点す」(右)。 左は島崎藤村宅の隣でもありゆかりの深い大黒屋。
藤村記念館は島崎藤村宅でもあり馬籠宿・本陣も勤められました。晩年は「静の草屋」と呼ばれた 大磯の別邸で71歳の生涯を終えられました。
藤村記念館は島崎藤村宅でもあり馬籠宿・本陣も勤められました。晩年は「静の草屋」と呼ばれた 大磯の別邸で71歳の生涯を終えられました。
藤村記念館は馬籠宿・本陣跡でもあリました。左は藤村記念館前の観光案内所です。
藤村記念館は馬籠宿・本陣跡でもあリました。左は藤村記念館前の観光案内所です。
町並みの風景4。江戸時代から伝わる防火用水具置き場(中)。民芸品展示売り場(左)。
町並みの風景4。江戸時代から伝わる防火用水具置き場(中)。民芸品展示売り場(左)。
文化庁「登録有形文化財」の清水屋史料館。
文化庁「登録有形文化財」の清水屋史料館。
馬籠宿を代表する南入り口の車屋坂。右は坂の途中左折する右手にある阿弥陀堂。
馬籠宿を代表する南入り口の車屋坂。右は坂の途中左折する右手にある阿弥陀堂。
馬籠宿の南端の車屋坂に掲げられた説明板。
馬籠宿の南端の車屋坂に掲げられた説明板。
馬籠宿を代表する南入り口の車屋坂と水車。車屋坂は典型的な桝形道路で左右、上下という 二段構えになったもので妻籠宿にも見られます。
馬籠宿を代表する南入り口の車屋坂と水車。車屋坂は典型的な桝形道路で左右、上下という 二段構えになったもので妻籠宿にも見られます。
左は江戸時代から伝わる防火用水具でテレビの時代劇によく出てきます。 右は旧中山道、馬籠宿の南入り口風景。
左は江戸時代から伝わる防火用水具でテレビの時代劇によく出てきます。 右は旧中山道、馬籠宿の南入り口風景。
県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物店など1。 観光バスなど駐車場があり休日には大変な賑わいとなります。旧中山道は標識 に従い新茶屋(県境)から落合宿を経て京都へ繋がります。 馬籠宿の南入り口
県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物店など1。 観光バスなど駐車場があり休日には大変な賑わいとなります。旧中山道は標識 に従い新茶屋(県境)から落合宿を経て京都へ繋がります。 馬籠宿の南入り口
県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物店など1。 観光バスなど駐車場があり休日には大変な賑わいとなります。旧中山道は標識 に従い新茶屋(県境)から落合宿を経て京都へ繋がります。 馬籠宿の南入り口
県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物店など1。 観光バスなど駐車場があり休日には大変な賑わいとなります。旧中山道は標識 に従い新茶屋(県境)から落合宿を経て京都へ繋がります。 馬籠宿の南入り口
県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物など2
県道7号線と旧中山道が交差する馬籠宿の南入り口の標識、土産物など2
馬籠宿の南端からしばらく行くと丸山坂にかかります。ここが馬籠城跡です(右側の森)。
馬籠宿の南端からしばらく行くと丸山坂にかかります。ここが馬籠城跡です(右側の森)。
正岡子規の句碑。「桑の実の木曽路出ずれば穂麦かな」。山の中の木曽路から眼下 に広がる美濃路の平野を眺めて詠まれたのでしょうか。 落合宿,眼下に広がる美濃路の平野
正岡子規の句碑。「桑の実の木曽路出ずれば穂麦かな」。山の中の木曽路から眼下 に広がる美濃路の平野を眺めて詠まれたのでしょうか。 落合宿,眼下に広がる美濃路の平野
正岡子規の句碑。「桑の実の木曽路出ずれば穂麦かな」。山の中の木曽路から眼下 に広がる美濃路の平野を眺めて詠まれたのでしょうか。 落合宿,眼下に広がる美濃路の平野
正岡子規の句碑。「桑の実の木曽路出ずれば穂麦かな」。山の中の木曽路から眼下 に広がる美濃路の平野を眺めて詠まれたのでしょうか。 落合宿,眼下に広がる美濃路の平野
芭蕉句碑(右端)。「送られつ送りつ果ては木曽の穐(あき)」。正岡子規の句碑の近くで 国境と平野が一望できる景色の良いこの場所で詠われた。常夜灯を左(中)に見ながら(左 端)進むと新茶屋の国境(県境)に着きます。
芭蕉句碑(右端)。「送られつ送りつ果ては木曽の穐(あき)」。正岡子規の句碑の近くで 国境と平野が一望できる景色の良いこの場所で詠われた。常夜灯を左(中)に見ながら(左 端)進むと新茶屋の国境(県境)に着きます。

原ファイル: magome-syuku2.htm