愛知・38市史跡・社寺めぐりー新城市(その14、川路地区)新城市9回目の訪問はjr新城駅東北部川路地区を巡ります(2017.11.7)勝楽寺(上左)。設楽原決戦で勝利した信長、家康が立ち寄り戦勝の祝杯をあげ、松楽寺という元の名を戦勝に因んで勝楽寺に改められたという。下右は三河東郷駅。2回目の訪問は飯田線三河東郷駅から左廻りで新城駅まで設楽原古戦場史跡いっぱい、秋本番の新城郊外をゆったり散策いたします。岩広城勝楽寺本堂(右)。左は本堂の横に仁王像が鎮座されています。
山門前に「純忠」の題字の下に長文が刻まれた大きな石碑が建っています。岩瀬肥後守忠震公の顕彰碑です。
碑文は判読できませんが資料館前の忠震公像の台座をご覧下さい。川路城跡。
jr三河東郷駅西へ151号線沿い約200m付近の標識。
増瑞寺本堂及び地蔵堂(左)。右は増瑞寺の山門跡の大きな石碑。遠くに見える増瑞寺。
増瑞寺境内の「構屋敷」跡。元設楽氏居館跡で設楽氏発祥の地といわれます。岩広城以下の写真は9回目、2017.11.7に撮影したものです。
鳥居強右衛門勝商上陸の地。「廣瀬渡鳥居勝商上陸0」と刻まれた石碑(拡大右端)。関連:。関連:鳥居強右衛門勝商の墓苑・新昌寺の。
鳥居強右衛門勝商上陸の地廣瀬の渡舟場跡(上)。下は右が鳥居強右衛門勝商上陸の地、豊川沿いに西へ約100m。下左が下段の「奇襲隊・・・」案内板へ東約100m。
六部さまと石仏(右)。「六部さま」は、全国の霊場に法華経を納めるために巡礼する僧侶のこといわれます。
廣瀬の渡舟場案内板。勝楽寺前激戦地。巴神社。下写真は神社前から廣瀬の渡舟場跡方面を撮る。
山本信供の墓。山本信供の墓から勝楽寺を望む(上左)。上右は山本信供の墓碑。下左は墓前から巴神社方面。
下右は東方面を撮る。端城城跡。端城城は大谷城主・菅沼定忠の孫、菅沼定氏によって築かれた城です。
鳳来寺、長篠城・設楽原古戦場設楽が原古戦場と新城市史跡あふれる新城市の旅(第三回目)新城市:史跡・社寺めぐり医王寺~満光寺新城市:設楽が原古戦場新城市南部:史跡社寺めぐり。
新東名高速道:豊田東jc→新城市内。新城市川路地区→鳥居→三河大野を訪ねる。。
(その10、作手地区)(その11、作手地区)(その12、作手地区)(その13、吉川地区)(その14、川路地区)(その15、三河大野地区)リンク:
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原ファイル: sinsirosi14.htm