高畑駅周辺案内(その3、前田のふるさとコース)駅から西へ約2.3キロ、庄内川にかかる新前田橋を越えた、中川区前田西町にある前田速念寺です。右は前田古城跡の石碑と左は屋根が戦国時代の兜を思わせる本堂の屋根です。
この地が前田家発祥の地と言われる。速念寺の案内書によれば荒子説がよく知られているが、当前田城で生まれあとで荒子に移ったとするのが当寺の寺伝であり、利家の出生は天文6年か7年とされるが、そのときに荒子城が存在したかどうか疑問であるとされ、利家の身辺警護に荒子衆が当たっていたので荒子出身といわれるようになったのであろうと記されています。また加賀前田家との関係について利家が加越能の大守として北上のとき、前田の村民も多くこれに従い、金澤尾張町へ移住したかと思われる。天保年間など加州侯江戸へ参勤の折り、へ、前田村百姓総代を呼び寄せ、お菓子など賜る古例があった。明治以後、前田侯爵家では、祖先の地を尋ねて、歴代速念寺に参詣せられているとも記されています。なお門柱の前田速念寺の文字は前田利定元子爵筆である。
利家、まつ(芳春院)特集約10年ぶりこの地区2度目の訪問です。前回と変わっていませんがお伝えできなかった部分を紹介します。左端は前田古城址と刻まれた石碑。
右は本堂。左は本堂左横にある城主・前田與十郎之墓です。前田速念寺前の道路から見る兜をイメージした本堂屋根(右)と無量寿堂。
円盛寺:真宗大谷派。境内に建つ利家ゆかりの大きな石碑(左)。2016年12月、お寺から北西へ約5キロの「横井庄一記念館」を訪問した際、境内の「横井庄一之墓碑」が同姓同名のものと判明しましたので訂正、削除してお詫びいたします。
称円寺:真宗大谷派、大野光明寺の末寺。創建年は不詳。正中2年(1325年)には七堂伽藍を数え、塔頭も16か寺を数えた。天正2年(1574年)10月、3世西信が石山合戦に参戦のため留守にしている間、信長の家来土方治兵衛の来襲を受け、本坊が焼失したが、同19年(1591年)、仮堂を現在地に建て、世に辻殿といわれた。本尊は木仏立像の阿弥陀如来である。以上中川区役所説明文引用。
土之宮神明社(右)。左は助光城があったとされる竹薮。神社から西南西約100m。助光城があったとされる竹薮土之宮神明社境内奥に建つ織田信長の家臣:福留将監古城跡碑(黄色の矢印)、左端は碑の拡大写真。
中は鳥居直ぐ下に建つ助光村と刻まれた小さな石碑。七所神社。宝蔵院。真言宗。行基菩薩の開基と伝えられ、昔は雲竜山無動寺宝蔵院といっていたが、宝永7年(1710年)、現在の寺号に改号された。以前は南蔵院とも呼称した。本尊は行基作と伝えられる木仏立像の地蔵菩薩である。以上中川区役所説明文引用。
三輪社。武田兵庫右衛門を城主とする榎津城跡がこの神社付近にあったとされますが年代も1455年頃の城で、右写真のような住宅地で全く不明です。
前田利家:関連(加賀・能登)
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執筆推定: 2016-12-01 / 原ファイル: takahat3.htm