信長誕生から京都・建勲神社まで(その1)
信長誕生から京都・建勲神社まで(その1) 名鉄津島線勝幡駅前銅像。関連: ウィキメディア・コモンズ経由で・織田信長像 賛・跋。原本は愛知県西加茂郡挙母町長興寺所蔵。 信長死後に宣教師によって描かれたとされる肖像画を写真撮影したもの。三
信長誕生から京都・建勲神社まで(その1) 名鉄津島線勝幡駅前銅像。関連: ウィキメディア・コモンズ経由で・織田信長像 賛・跋。原本は愛知県西加茂郡挙母町長興寺所蔵。 信長死後に宣教師によって描かれたとされる肖像画を写真撮影したもの。三
信長公 若き日の尾張・荒武者ものがたり(その2) 万松寺本堂のからくり人形「信長」 写真右は万松寺の本堂(地下1階、地上5階)、左は本堂横にある織田信秀公の廟所 詳しくは下段のリンクをご覧下さい 大須を歩けば観音様と万松寺(ばんしょう
信長誕生から岐阜城まで(その3) 「戦評の松」前の案内板。 上段の案内板右下の説明文拡大。 「戦評の松」のポケットパーク。 桶狭間古戦場公園内の銅像。右:今川義元公(42歳)。左:織田信長公(27歳)。 桶狭間古戦場公園説明文拡大
信長誕生から岐阜城まで(その4) 名鉄・富士松駅前にあります。 小豆坂古戦場跡1。上写真3枚は古戦場跡に並んで建つ3基の碑石。 関連:尾張・守山:宝勝寺守山崩れ 祐伝寺。築山御前の首塚は、一般的には下記の八柱神社が知られていますが、こ
信長誕生から岐阜城まで(その5) 史跡・桶狭間古戦場。豊明市。 今川義元公のお墓。 七石表(1号碑)。 高徳院。 高徳院境内の石碑。 高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。 徳本行者が建てた敵味方の戦死者の霊を弔
信長誕生から岐阜城まで(その6) 信玄塚の大垂れ幕(上)。下左は信玄大塚。この塚から発生した蜂を退治するため供養を行ったことが、 火おんどり(愛知県指定無形民俗文化財)の始まりとされる。 信玄塚地内のお堂前石碑と横壁に貼られた説明文。
信長誕生から岐阜城まで(その7) 要害の長篠城跡(左)。 長篠城址史跡保存館前の説明板。 保存館前の説明板拡大。 保存館前の説明板拡大。 大通寺の案内板。大通寺北の医王寺には武田勝頼の本陣址があります。 写真左は長篠城を眼下に見下
信長誕生から岐阜城まで(その8) 金華山頂の岐阜城。天正三年(1575)信長は長男の信忠にゆずり翌四年に を築き移りました。 織田信長時代の岐阜城図と城から見る鵜飼で有名な長良橋付近(右) 城内展示の肖像画(左から濃姫・信長・道三)
信長誕生から岐阜城まで(その9) 円徳寺。 円徳寺案内。 境内の史跡・伝織田塚改葬地。 円徳寺境内の国指定重要文化財・楽市楽座制札。 。 建勲神社。関連: 橿森神社。 瑞龍寺。美濃国の実権を握る斎藤妙椿が、美濃国守護である土岐
信長誕生から岐阜城まで(その10) 崇福寺。織田信長・信忠の廟所。本堂の廊下天井には、関が原合戦の一ヶ月ほど前、 岐阜城が落城した際、戦死した将兵(38名)の霊を弔うため城の床板が天井に張 ってあり、床板と血痕は同色系ですが血痕跡が一段と
信長誕生から岐阜城まで(そ11・信長公居館跡特集) 岐阜市6回目の訪問は本シリーズの最終場所・岐阜城を中心に取材、 好天の下、で市内の主な史跡を訪ねました。 織田信長公居館跡の冠木門は菊人形と花で飾られています。2017.10.26撮影
(その12・岐阜城から本能寺まで) 菁莪(せいが)記念館(上)前の観光案内図の裏側の説明文。 竹中半兵衛重治。 竹中氏陣屋跡/菁莪(せいが)記念館 五明稲荷神社。 五明稲荷神社境内のイチョウの木。 長比城(たけくらべ)跡と説明版。
(その13・本能寺から旧二条城まで) 本能寺跡。 。 ウィキメディア・コモンズ経由で・恵林寺を焼こうとするのを諫めた光秀を打ち据える信長 ウィキメディア・コモンズ経由で・燃える本能寺で戦う信長(月岡芳年作) ウィキメディア・コモンズ
(その14・阿弥陀寺から建勲神社まで) 阿弥陀寺。 阿弥陀寺境内の織田信長公本廟所。 。 リンク:信長と清玉上/ポルフィの日記 十念寺。 相国寺。法堂は慶長10年(1605年)豊臣秀頼公の寄進によって再建され、日本にある法堂建築 と