広重、赤坂旅舎招婦の図
徳川幕府の法令布告を掲示する 場所を高札場と称し、赤坂宿の 高札場は、宿の中央で最も人目 につきやすい所にあった。と記 されている。 |
旅篭大橋屋さん、現在も営業をして おられる。建物は1715年の建築といわれ 、1871年頃(明治4年)まで置き屋を営 んでいた。赤坂宿は1709年に大火に見舞 われた1580棟が焼失し、その後幕府の援 助により復興され、旅篭、置き屋、茶屋など 80余戸を数え全盛期を迎え大変賑わった。 その当時の建築家屋として置屋の形態をよく 整えているといわれる。 説明文拡大 |
赤坂宿から西の藤川宿までの間に この本宿がある。53次には指定され ませんでしたが、旧東海道はこの本宿 から赤坂、御油、国府、吉田まで続く 街道は昔ながらの格子作りの建物が散見 されてこの地区の賑わいが偲ばれる。 写真は右に入って吉田(豊橋)まで 伸びている。 |
赤坂宿、尾崎屋さん、現在も営業をしておられる。平成10年5月31日撮影
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