秀吉公尾張中村から京都~大阪城まで(その2)熱田神宮の参道に掲示された豊臣秀吉公・織田信長公。
柴田勝家出生地。丹羽長秀邸跡。関連とすぐ北の児玉白山稲荷社。前田利家誕生地(中川区),、、で功績を挙げ、出世街道を突き進んだ。
生まれは西区比良、駅から東北へ約1.8キロ光通寺にあります。リンク:帝國博物学協会・尾張國 比良城あおなみ線荒子駅前に完成した前田利家像。前田利家19歳(稲生原古戦場)あおなみ線荒子駅前に完成した前田利家像。この合戦で手柄を立て槍の又左の異名を取る。
池田恒利の屋敷跡。妻の養徳院は織田信長の乳母でした。関連リンク:写真左は禅養寺です(旧写真)。この表門は秀吉の異父妹朝日姫の夫であった副田隠斎の家門と言われています。秀吉からの出世の城主を断りここで隠棲したと言われる。
駅から東北へ約500メートルのところにあります。写真右は薬師堂で本尊は薬師如来、左右に立つ力士像は鎌倉時代のものと言われる。禅養寺からさらに東北へ約1キロ行ったところにあります。
五条川・大手橋から見る清洲城。右は対岸古城址から見る清洲城。五条橋の東詰めポケットパークに建っています。
。清洲越(慶長15年、1610年より行われた町ぐるみの引越しをいう)。リンク:長束(なつか)正家邸跡に建つ自然石の碑(右から2つ目)。秀吉の5奉行の一人で財政の役を担った。
右は街道の随所に建っていた長束(なつか)正家奉賛会の幟。長束(なずか)正家邸跡右が東楼門。左は南楼門。。東楼門は豊臣秀吉公が寄付したものと記されています。
南楼門は秀吉公の病気平癒を祈願して秀頼公より寄進されたものです。津島神社東楼門。2019.7.28撮影。
福島正則の生誕地より西北へ約5キロ、美和町蜂須賀の蓮花寺(境内3町歩を有する町内最大の寺院)の南にあります。蜂須賀城跡の碑と顕彰碑があり(写真上左)、蓮花寺の山門と本堂(上右)、また少し離れたところに宅跡があります。関連:貴船社。
豊臣秀吉公の五奉行の一人・増田長盛邸址。矢作橋西に建つ工事中の日吉丸、蜂須賀小六の出会い像の説明写真。
最新の矢作橋、岡崎市中心部を望む。2015.7.10撮影。大御堂寺大門及び各案内板。
美浜幕府・大御堂寺拡大本陣駅から西北へ約9キロ、海部郡美和町二ツ寺地内にあります名鉄津島線きだ駅下車が便利です。関連リンク、菊泉院は誕生地から北へ約2~300メートルの距離です。右は黒田城跡、。
左は山内一豊父子の墓がある法蓮寺。現街道がjr木曽川駅南約100m、踏み切り左の黒田小学校の東北角にあります。
当時はすぐ東の境内ではなかったかと思われます。一宮城跡。上右は城跡前の街並み。前田利家出世の森部の合戦。
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