信長誕生から岐阜城まで(その5)

信長誕生から岐阜城まで(その5)史跡・桶狭間古戦場。豊明市。今川義元公のお墓。七石表(1号碑)。

高徳院。高徳院境内の石碑。高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。徳本行者が建てた敵味方の戦死者の霊を弔う円筒形の小塔です。

沓掛城址公園案内(上)。下は沓掛城説明碑。沓掛城大手門址。沓掛城本丸跡(上左)。上右は本丸井戸。下は沓掛城土塁。

戦人塚。大脇城址。岩崎城の概要。知立古城。さむらい塚。長興寺。菱野城址。写真右上の水路は堀跡の唯一の遺構です。

良福寺。。下津城址:尾張守護代織田敏広の居城であって永享四年には将軍足利義教も宿泊したという。

下津小学校向かい側。頼朝が開いた鎌倉街道は日本中で一番重要な交通路で京都から近江→美濃→を経て木曽川を渡り、尾張黒田→一宮を経て下津を通り、六角堂(長光寺)→萱津→熱田へと通じていた。

鎌倉街道沿いにあるお寺です。リンク:布智神社。尾張・坂井屋敷旧跡(右)。左は隣接鎮座の山崎神社(左、上下)。

リンク:城郭写真記録・境内には山崎城があったとされ、城主は山崎法印寿昌、リンク:城郭写真記録・貴船神社(右)。と儀長城があったとされる神社東側(左)から、正楽寺址付近までといわれる。

リンク:城郭写真記録・井堀城があったとされる白山社。リンク:城郭写真記録・片原一色城跡。左は神明社。右は城跡の石碑で浄水場水路沿いに立つ。

リンク:城郭写真記録古木江城跡。信長街道。 善敬寺向かい側に立っています。高山城跡。

googleマップ・リンク鶴ヶ城跡岐阜県指定史跡。googleマップ・リンク小里(おり)城跡googleマップ・リンク苗木城跡リンク:干支:和暦・西暦・早見表リンク:干支:和暦・西暦・早見表【元治元年以前 (1864~1564)はこちら地下鉄で巡る若き日の信長ものがたり信長公誕生から岐阜城まで(岐阜城下町)信長公誕生から岐阜城まで(その1)信長公誕生から岐阜城まで(その2)信長公誕生から岐阜城まで(その3)(その11・信長公居館跡特集)(その12・岐阜城から本能寺まで)(その13・本能寺から旧二条城まで)(その14・阿弥陀寺から建勲神社まで)リンク:

信長誕生から岐阜城まで(その5) 史跡・桶狭間古戦場。豊明市。 桶狭間古戦場/高徳院 今川義元公のお墓。 七石表(1号碑)。 石碑文字拡大 高徳院。 高徳院境内の石碑。 高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。 徳本行者が建てた
信長誕生から岐阜城まで(その5) 史跡・桶狭間古戦場。豊明市。 桶狭間古戦場/高徳院 今川義元公のお墓。 七石表(1号碑)。 石碑文字拡大 高徳院。 高徳院境内の石碑。 高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。 徳本行者が建てた
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信長誕生から岐阜城まで(その5) 史跡・桶狭間古戦場。豊明市。 桶狭間古戦場/高徳院 今川義元公のお墓。 七石表(1号碑)。 石碑文字拡大 高徳院。 高徳院境内の石碑。 高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。 徳本行者が建てた
今川義元公のお墓。
今川義元公のお墓。
七石表(1号碑)。 石碑文字拡大
七石表(1号碑)。 石碑文字拡大
高徳院。
高徳院。
高徳院境内の石碑。
高徳院境内の石碑。
高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。
高徳院境内の今川義元公300回忌に建てられた供養塔。
徳本行者が建てた敵味方の戦死者の霊を弔う円筒形の小塔です。
徳本行者が建てた敵味方の戦死者の霊を弔う円筒形の小塔です。
沓掛城址公園案内(上)。下は沓掛城説明碑。 沓掛城址
沓掛城址公園案内(上)。下は沓掛城説明碑。 沓掛城址
沓掛城大手門址。
沓掛城大手門址。
沓掛城本丸跡(上左)。上右は本丸井戸。下は沓掛城土塁。
沓掛城本丸跡(上左)。上右は本丸井戸。下は沓掛城土塁。
戦人塚。 戦人塚
戦人塚。 戦人塚
大脇城址。 大脇城址
大脇城址。 大脇城址
岩崎城の概要。
岩崎城の概要。
知立古城。
知立古城。
さむらい塚。 さむらい塚
さむらい塚。 さむらい塚
長興寺。 長興寺
長興寺。 長興寺
菱野城址。写真右上の水路は堀跡の唯一の遺構です。
菱野城址。写真右上の水路は堀跡の唯一の遺構です。
良福寺。 説明文拡大 良福寺。
良福寺。 説明文拡大 良福寺。
下津城址:尾張守護代織田敏広の居城であって永享四年には将軍足利義教も宿泊したという。 下津小学校向かい側。頼朝が開いた鎌倉街道は日本中で一番重要な交通路で京都から近江→美濃→ を経て木曽川を渡り、尾張黒田→一宮を経て下津を通り、六角堂(長光
下津城址:尾張守護代織田敏広の居城であって永享四年には将軍足利義教も宿泊したという。 下津小学校向かい側。頼朝が開いた鎌倉街道は日本中で一番重要な交通路で京都から近江→美濃→ を経て木曽川を渡り、尾張黒田→一宮を経て下津を通り、六角堂(長光

原ファイル: nobunaga-owari5.htm