東海道五十三次、戸塚宿(その3)

東海道五十三次、戸塚宿(その3)広重、戸塚、元町別道広重画検証:吉田橋を描いた場所はこの方向(元町から)と思われます。

画の中ほど石灯篭の横小さく見える道標が下段の妙秀寺のものです。旧東海道品濃坂上、右写真は急な下り階段。

旧東海道品濃坂上から東戸塚駅方面を見る。王子神社大山道道標(柏尾通り入口)当時、この橋手前で街道が分からなくなりましたが今回判明しましたので地図をご覧下さい。

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東戸塚駅前からバスでブリジストン前まで乗る。ここから戸塚駅まで歩く。ウィキメディア・コモンズ経由で・戸塚区戸塚町所在の富塚古墳近景富塚古墳(戸塚区)戸塚宿 江戸方見附跡首洗井戸江戸より10番目:戸塚一里塚跡。

戸塚区吉田町にある。地元の方が鎌倉街道の道標が橋の改修により妙秀寺に移転保存されていると教えて下さいましたのですがあまりにも古くやっとひらがな文字で判りました右写真。

妙秀寺吉田大橋江戸方のたもとにある木之間稲荷。木之間稲荷社は伏見稲荷大社の御分霊を祭祀した社です。

住民が五穀豊穣を祈願する素朴な敬神の心を以て江戸時代中期に創建されました。広重画検証:吉田橋を描いた場所はこの方向(元町)と思われます。

吉田大橋の欄干には広重の絵が4枚置かれているうちの2枚、何れも戸塚・大坂の松並木。

善了寺と海蔵院、あとわずかで戸塚駅です。今回の一泊二日の宿場の旅は終わります。戸塚宿は2回の訪問で何れも(京方、江戸方共)戸塚駅で終わります。

ウィキメディア・コモンズ経由で・戸塚大踏切(廃止前)

次は保土ケ谷宿(お江戸日本橋へ)

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広重画検証:吉田橋を描いた場所はこの方向(元町から)と思われます。 画の中ほど石灯篭の横小さく見える道標が下段の妙秀寺のものです。
広重画検証:吉田橋を描いた場所はこの方向(元町から)と思われます。 画の中ほど石灯篭の横小さく見える道標が下段の妙秀寺のものです。
旧東海道品濃坂上、右写真は急な下り階段。
旧東海道品濃坂上、右写真は急な下り階段。
旧東海道品濃坂上から東戸塚駅方面を見る。
旧東海道品濃坂上から東戸塚駅方面を見る。
東戸塚駅前からバスでブリジストン前まで乗る。ここから戸塚駅まで歩く。
東戸塚駅前からバスでブリジストン前まで乗る。ここから戸塚駅まで歩く。
宝蔵院
宝蔵院
江戸より10番目:戸塚一里塚跡。
江戸より10番目:戸塚一里塚跡。
戸塚区吉田町にある妙秀寺。地元の方が鎌倉街道の道標が 橋の改修により妙秀寺に 移転保存されていると教えて下さいましたのですがあまりにも古くやっとひらがな文字で 判りました右写真。 妙秀寺 妙秀寺
戸塚区吉田町にある妙秀寺。地元の方が鎌倉街道の道標が 橋の改修により妙秀寺に 移転保存されていると教えて下さいましたのですがあまりにも古くやっとひらがな文字で 判りました右写真。 妙秀寺 妙秀寺
吉田大橋江戸方のたもとにある木之間稲荷。木之間稲荷社は伏見稲荷大社の御分霊を祭祀した社です。 住民が五穀豊穣を祈願する素朴な敬神の心を以て江戸時代中期に創建されました。
吉田大橋江戸方のたもとにある木之間稲荷。木之間稲荷社は伏見稲荷大社の御分霊を祭祀した社です。 住民が五穀豊穣を祈願する素朴な敬神の心を以て江戸時代中期に創建されました。
吉田大橋の欄干には広重の絵が4枚置かれているうちの2枚、何れも戸塚・大坂の松並木。
吉田大橋の欄干には広重の絵が4枚置かれているうちの2枚、何れも戸塚・大坂の松並木。
善了寺と海蔵院、あとわずかで戸塚駅です。今回の一泊二日の宿場の旅は終わります。 戸塚宿は2回の訪問で何れも(京方、江戸方共)戸塚駅で終わります。
善了寺と海蔵院、あとわずかで戸塚駅です。今回の一泊二日の宿場の旅は終わります。 戸塚宿は2回の訪問で何れも(京方、江戸方共)戸塚駅で終わります。
熱田参りじゃ
熱田参りじゃ
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原ファイル: totuka3.htm