東海道五十三次、赤坂宿(その1、平成10年版)
東海道五十三次、赤坂宿(その1、平成10年版) 広重、赤坂旅舎招婦の図 徳川幕府の法令布告を掲示する 場所を高札場と称し、赤坂宿の 高札場は、宿の中央で最も人目 につきやすい所にあった。と記 されている。 旅篭大橋屋さん、現在も営業を
東海道五十三次、赤坂宿(その1、平成10年版) 広重、赤坂旅舎招婦の図 徳川幕府の法令布告を掲示する 場所を高札場と称し、赤坂宿の 高札場は、宿の中央で最も人目 につきやすい所にあった。と記 されている。 旅篭大橋屋さん、現在も営業を
愛知・38市史跡・社寺めぐりー豊川市(その5・赤坂宿) 愛知・38市史跡・社寺めぐりー豊川市をご訪問下さいまして 有難うございます。 徳川幕府の法令布告を掲示する 場所を高札場と称し、赤坂宿の 高札場は、宿の中央で最も人目 につきやすい
愛知・38市史跡・社寺めぐりー豊橋市(その2) 吉田城から旧豊川橋を描いたと思われます。 豊川べりに建つ吉田城、国道1号線の吉田大橋 から撮影したもので広重の絵に出ている橋はも う1つ下流の旧豊橋を描いたものと思われます。 正面から見
東海道五十三次、水口宿(滋賀県)の旅(平成10年版その1) 広重、水口、名物干瓢 水口は都から伊勢へ通じる交通の要所であった。 水口宿を見下ろす古城山、正面は国宝本尊観世音、 大岡寺(芭蕉の句で名高い桜の名所)とその石碑 滋賀県指定史跡
東海道五十三次、土山宿(滋賀県)の旅(平成10年版、その2) 広重、土山、春之雨 街道にかぶさるように なった松と松並木 > 土山宿の西の町並みと松並木 軒先に張られた屋号看板を五個ばかり、石碑に記された 旅篭以外の屋号90軒を調査
東海道五十三次四十九番目、坂之下宿(その1) 広重、坂之下、筆捨嶺 広重画検証:筆捨山絵の右茶店付近は一般住宅があり近寄れません。 大きな岩肌が、新緑に映える木々の間からあちこちに現れ、 広重画によく似ています。 坂下宿泊まりで夕焼け
東海道五十三次四十三番目、四日市宿(その1、平成10年版) 広重、四日市、三重川 行書版、隷書版に描かれた有名な追分三叉路、 鳥居の方向が伊勢街道、右手前の国道が旧東海道、 京、大阪へと石碑が建っている。 旧東海道も現在四日市市内では
東海道五十三次四十六番目、庄野宿 広重、庄野、白雨 宿場,下段の街道名をクリックして下さい 庄野宿資料館前の案内板。 庄野宿北(江戸方)の入り口にあります。 比較的こじんまりの庄野宿は国道1号線の庄野北の 信号機を右折し、小さな坂
東海道五十三次四十六番目、亀山宿(その1,平成10年版) 広重、亀山、雪晴 亀山城天守閣は寛永9年に幕命により解体されたため、 この多聞櫓が建てられたと伝えられ明治30年に改修され、 三重県下で唯一残る城郭建造物です。 満開の桜に浮か
東海道五十三次三十九番目、藤川宿(その2、平成10年版) 広重、藤川棒鼻の図 国道1号線の南を東西徒歩約20分の宿場町、 ここ西棒鼻より東棒鼻までの徒歩約12、3分の 旧東海道は松並木と共に昔の面影が残されている。 岡崎市指定の天然記