明治天皇御駐輦跡(ごちゅうれん)の碑と満念寺(長良町3交差点南)、
第2日目は2011、11.9日長良橋からスタートします。
佐屋街道の松並木の名残りが2本だけ両側に復元されています、近鉄線、jr線高架橋をくぐると
両側に目に入ります。
佐屋街道の松並木
古書と実測によればここ岩塚石橋付近に岩塚一里塚があるはずですが全く痕跡がありません
徳川幕府は佐屋街道を東海道並に保全するように命じていた。右は付近のお題目碑。
岩塚宿本陣跡付近と岩塚の八幡社。
岩塚城があった
遍慶寺と周辺の街並み、右奥の鳥居が岩塚の八幡社。
光明寺山門(2階が鐘楼)と宿場の中心付近。
光明寺内の三十三観音像、石碑群など。
八幡社前と宿場の中心付近、この付近に本陣跡があったといわれる。
七所社、街道が堤防に突き当たり、手前の道(約30メートル)を右折する。
七所社境内。
七所社境内。
七所社境内。
七所社境内。
現在の万場大橋からjr名古屋駅方面と津島・佐屋方面を見る。
庄内川の両岸、左:万場宿の渡し場跡付近と右:岩塚宿の渡し場跡付近(赤の矢印)。
2013.2.26きねこさ祭りで渡し場付近を撮る。
月の上半月を受け持つ万場宿と秋葉神社。
秋葉神社の石碑と常夜灯。第2日目はここで終了します。
佐屋街道その1(平成10年版)
佐屋街道(伝馬町〜新尾頭)
佐屋街道(新尾頭〜長良橋)
岩塚宿〜万場宿
万場宿〜神守宿(その1)
万場宿〜神守宿(その2)
佐屋宿(その1)
佐屋宿(その2)
次は万場宿〜神守宿(その1)佐屋宿へ行く 次は佐屋街道(新尾頭〜長良橋)宮宿へ行く