国玉神社と高札場(大勢の人が集まる場所に設置)があったとされる南西角。
最初は砂子に宿場があったと記されている。
第3日目は2011.11.12日ここからスタートします。
国玉神社の東隣の覚王院、「ちちの観音医王山覚王院」の大きな石碑がある。
乳が出るという言い伝えもある。
国玉神社の向かい側にある光圓寺。門前の巨大な石灯篭と境内の三重塔が印象的です。
「臥龍山」の立派な金字額がかかる風格のある山門は、織田信長と斉藤道三が会見した
尾西市富田村聖徳寺の山門を移築したもので、聖徳寺は廃寺となっているだけに
存在意義は大きい。
万場交差点とすぐ北にある浅間神社。佐屋街道はここを横切り砂子橋へと向かう。
新川に架かる砂子橋と上流を見る。
十二所社と佐屋街道道標。
玉泉寺と付近の佐屋街道道標。
高札場跡、一般に往来の激しい地点、中心部に設置されるので、この大治町(砂子)
付近に宿場があったと言われます。右は隣にある地蔵堂。
最初は砂子に宿場があったと記されている。
自性院:高札場跡から東へ30メートルのところにあります。右は高札場跡前の街並み。
高札場跡から西の佐屋街道とお題目碑と常夜灯。
稲荷社と地蔵堂。
七所社前の一里塚跡(大治町)。
八剣社(左)と福田川に架かる秋竹橋(右)を渡るとあま市となる。
街道の風情を残す建物が見られる佐屋街道東方向を見る。
七宝役場北交差点角の石道標には珍しく上部に英文が刻まれています。明治時代は輸出の花形で
外国人が直接買い付けに来ていたことを表わすものという。「shippoyaki Toshima」
翻訳:七宝焼 遠島(地名)。七宝焼・梶常吉宅跡第3日目はここで終わります。
佐屋街道その1(平成10年版)
佐屋街道(伝馬町〜新尾頭)
佐屋街道(新尾頭〜長良橋)
岩塚宿〜万場宿
万場宿〜神守宿(その1)
万場宿〜神守宿(その2)
佐屋宿(その1)
佐屋宿(その2)
次は万場宿〜神守宿(その2)佐屋宿へ行く 次は岩塚宿〜万場宿宮宿へ行く