東海道五十三次、佐屋街道(宮〜桑名間の陸路,平成10年版)

東海道五十三次、佐屋街道をご訪問下さいまして有難うございます。

船酔い、悪天候などにより多くの人が利用したといわれる。

慶長20年4月大阪夏の陣、この佐屋から船出した
徳川軍が勝利を収めた吉祥の地とされ、その後佐屋御殿、
船番所、奉行所、代官所など次々と設けられて、この地方
の民政と治安に貢献したと記されている。
総理大臣加藤高明はこの佐屋で生まれた。
関連:佐屋代官所跡 加藤高明顕彰碑 加藤高明氏住居跡

佐屋街道の神守(かもり)一里塚(左)、今も残って
いるのは北側のムクの木のこの一里塚のみである。
右は津島一里塚,現在ではここと亀山の野村一里塚
笠寺一里塚とが残っているのみです。

代官所前にある船着き場への案内石碑
(元は佐屋の旧家にあったものが寄付され
移転されたもの。)佐屋街道には桑名へ渡る
船着き場はこの他にもいくつかあった。石碑
の後ろの林はキコク(カラタチの別名)の
生け垣で当時のままの姿である。下の尾張
名所図絵にも紹介されている。

佐屋の船番所と尾張五社の
一つ津島神社、図絵の中ほどの
矢印がキコクの生け垣である。


現在の佐屋町にある。以上平成10年7月12日撮影


街道コース
伏見通りと佐屋街道の交差点に建つ佐屋街道道標


街道コース
近鉄線と街道が交差する地点に立っていましたが
高架橋工事のためか松も案内もありませんでした。


史跡コース街道コース 岩塚宿から対岸(庄内川)の万場宿までの
万場の渡し跡です。この両宿場は近距離にあったため制度上一つの宿場と
みなされ、月の上半月を万場宿が、下半月が岩塚宿が交代で人馬擁立の
役務を行った。左端に常夜灯が見える。16年4月24日写す

佐屋街道その1(平成10年版) 佐屋街道(伝馬町〜新尾頭) 佐屋街道(新尾頭〜長良橋)
岩塚宿〜万場宿 万場宿〜神守宿(その1) 万場宿〜神守宿(その2)
佐屋宿(その1) 佐屋宿(その2)

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金山新橋南交差点