慶長20年4月大阪夏の陣、この佐屋から船出した 徳川軍が勝利を収めた吉祥の地とされ、その後佐屋御殿、 船番所、奉行所、代官所など次々と設けられて、この地方 の民政と治安に貢献したと記されている。 総理大臣加藤高明はこの佐屋で生まれた。 関連:佐屋代官所跡 加藤高明顕彰碑 加藤高明氏住居跡 |
佐屋街道の神守(かもり)一里塚(左)、今も残って いるのは北側のムクの木のこの一里塚のみである。 右は津島一里塚,現在ではここと亀山の野村一里塚 笠寺一里塚とが残っているのみです。 |
代官所前にある船着き場への案内石碑 (元は佐屋の旧家にあったものが寄付され 移転されたもの。)佐屋街道には桑名へ渡る 船着き場はこの他にもいくつかあった。石碑 の後ろの林はキコク(カラタチの別名)の 生け垣で当時のままの姿である。下の尾張 名所図絵にも紹介されている。 |
佐屋の船番所と尾張五社の 一つ津島神社、図絵の中ほどの 矢印がキコクの生け垣である。 |
現在の佐屋町にある。以上平成10年7月12日撮影
伏見通りと佐屋街道の交差点に建つ佐屋街道道標
近鉄線と街道が交差する地点に立っていましたが
高架橋工事のためか松も案内もありませんでした。
岩塚宿から対岸(庄内川)の万場宿までの
万場の渡し跡です。この両宿場は近距離にあったため制度上一つの宿場と
みなされ、月の上半月を万場宿が、下半月が岩塚宿が交代で人馬擁立の
役務を行った。左端に常夜灯が見える。16年4月24日写す
佐屋街道その1(平成10年版)
佐屋街道(伝馬町〜新尾頭)
佐屋街道(新尾頭〜長良橋)
岩塚宿〜万場宿
万場宿〜神守宿(その1)
万場宿〜神守宿(その2)
佐屋宿(その1)
佐屋宿(その2)