今回は中村日赤駅から街道を推測しながら中川区露橋神明社まで歩いて取材します。
萱津の東宿跡の東宿明神社からスタートします。鎌倉街道は新設の街道ではなく、
古来からある集落間をつないだ道でした。従いまして途中2箇所確認し古渡の稲荷神社まで
とします。
東宿明神社
まず萱津の東宿跡から豊臣秀吉を祭る豊国神社を経て、油江天神社に立ち寄り
庄内用水(元亀・天正年間(1570〜92) 庄内用水が尾張侯により開削される)
に沿って南下します。
油江天神社
戦後庄内用水(惣兵衛川:そうべえがわ)は一部改修で蓋をして道路になりましたがここには
元楠橋があり、記念の道標(右)があります。左は現在の楠橋跡。
改修を記念したモニュメントがあちこちに建てられていますが、この2基は
田植えと草刈に出る農夫を表現したもので当時の付近の風景が思い浮かびます。
庄内用水道から西へ入るとすぐの石神社です。
石神社の南西にある押木田公園,その一角にある下中八幡宮。由緒記には「元来この地は
往時東海、東山両道の要衝にあたり・・・・・」記されている。
下中八幡宮。由緒記拡大
下中八幡宮
日之宮神社。日吉公園の一角にあります。
日之宮神社
日之宮神社社殿の東隣に建っています。日吉丸(後の豊臣秀吉)の生母祈願の跡の記念碑。
左の石碑は地元の古老によると生母は日吉丸の素行を懸念して祈願したという。
日之宮神社から金山神社の間は田んぼばかりで鎌倉街道らしき道は存在しなかったと
地元お寺の住職は教えて下さった。金山神社は昭和2年2月敷地が国鉄用地になり
余儀なく現在地に移転したとある。
金山神社
写真は金山神社前の歩道橋(左:中村区長戸井町)から駅前高層ビル群を撮る。右端の鉄道線路内に
金山神社があった(昭和2年頃まで)。
善行寺、神明社(左)とも上記の金山神社とは昭和2年以前は300m位の近所でした。
ここ北一色村付近一帯は水はけが悪く、善行寺の檀家安井徳左衛門が私財を
投じ排水路を完成させた。これを顕彰した石碑「徳佐橋」が神明社(左写真)にある。
中川運河にかかる小栗橋、西たもとの地蔵堂、と東たもとの鈴木バイオリン発祥の地。
この街並みを歩いているとやはり鎌倉街道の雰囲気をなんとなく感じます。
少し東へ行くとこの地蔵堂が二戸建っています。旅人か地元の人を供養をするためでしょう。
露橋神明社。由緒記には鎌倉街道を勘請せりと記されています。今回の小さな旅はここで終ります。
由緒記拡大|
露橋・神明社
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