水口は都から伊勢へ通じる交通の要所であった。 水口宿を見下ろす古城山、正面は国宝本尊観世音、 大岡寺(芭蕉の句で名高い桜の名所)とその石碑 |
滋賀県指定史跡水口城は寛永11年三代将軍 徳川家光が京都に上洛することになりその道中となる 水口に専用の宿館を築いた。築城は幕府直営で行われ、 その作事奉行には小堀遠州らのべ10万人が動員された という。 |
近江鉄道の駅前に左下のような小さな東海道の 石碑があった。その先に写真のような東海道水口宿 の銘板をはめ込んだ豪華な台に時計を収めた神社風 屋根のガラスケースが一際目立った。ここで道が 三本に分かれて、先で一本になって土山宿へ行くと のことでした。 |
三本に別れた道のうち賑やかな通りを しばらく行くと当時の佇まいの水口宿升屋旅館が眼に入る。 |
水口の町には今もこのような町並みが多く存在して 宿場風景が随所に見られる。平成10年5月3日撮影 |
パソコンサーバー容量540キロバイト(1台約35〜40万円)、1バイトの(小文字1字)さえ
大事に扱った時代でした(すべて小文字8桁で処理・表現する。例:chiはti)。
平成10年5月3日撮影しましたが掲載できなかった写真を以下に追加しました。
水口宿を見下ろす古城山
今も変わらぬ水口コミニュテイセンター
水口宿の商店街と駅前付近
水口城
水口城
水口宿(平成10年版その1) 水口宿(その2) 水口宿(その3)
次は石部宿
京都へ行くのじゃ,
次は土山宿(お江戸日本橋へ)